40年前から届いた声の手紙 ~前編~

先日、京都にいるS井君から一通の手紙が送られてきた。中にはメッセージと1枚のSDカードが入っていた。そのカードに録音されていたのは40年も前にS井君とやり取りした声の手紙だった。再生すると二人の会話する声が聞こえてきた。一人は親友のO江君で、もう一人が自分の声だ。声は変わっていないが、ずいぶんと若々しい。テープレコーダーがそれまでのリール式からカセット式に変わりつつある時だった。新しいのを買って妙に浮かれていたのだろう。これを使って、犬山の研究所で大学院を目指していたS井君に声の便りを送ろうということになったのだ。

彼が先に大学を卒業してその研究所に行くまではO江君と自分と3人で暇さえあれば遊んでいるという関係だった。親友が遠くに行ってしまったということで寂しさもあったに違いない。4月に最初のテープを作ってから1年間に4本のテープを作って彼に送った。彼からも2本のテープが送られてきた。その6本のテープを編集して改めて彼に送ったのだが、S井君はこの40年間大事にとっておいてくれたようだ。

作ったことは覚えていても何を録音したかまるで覚えていない。聴いてみるとどうやら最初からテープを作ろうということではなかったらしい。その日にたまたま行きつけのパチンコ屋でO江君に出会って、他にやることもなくてそれじゃあといった乗りで始まった感じだ。その内容はというと、時は大学4年の4月のようで卒研に向けての研究室が決まっただとか、大学に行く日が週に3日になったとか言っている。もちろんサルの研究の手伝いをしているS井君のことも話題にして、「猿とは仲良くしろよ。猿にマージャンは教えられるのか。猿のバナナを取って食うなよ。」と言いたいことを言っては盛り上がっている。いかにもお気楽な大学生の会話が30分続いている。

2本目のテープはO江君が大学院を受ける話が中心になっている。それまで大手鉄鋼会社に就職を考えていたのだが、「私学じゃ出世にも限りがあるから一度大学院に進んでみたら」というごいさんのアドバイスで彼も大学院を目指すことになったのだ。この時、自分は教員採用試験を受けることを話している。それに大学院も受けるようで、まだ気持ちが揺れ動いているのが感じ取れる。時間が夕方の5時になり、自分が塾のバイトに行くという所でこのテープは終わっている。

そして3本目のテープ。この頃は漫画「嗚呼!!花の応援団」にはまっているらしく、あちこちに「がび~ん」だとか「ちゃんわちょんわ」、「クェックェックェッ」なんてそれらしい言葉が飛び交っている。O江君は東大の大学院が落ちて東工大の結果待ちだが絶望的だと語っている。自分は、大学院は落ちたが、神奈川県の教員試験の一次が通ったと話している。この日は9月15日の敬老の日。ちょうどこの時のごいさんは教育実習真っ最中で、女の子にけっこうもてていたらしい。自分が友だちにそんな自慢話をするなんて珍しい。こんな時もあったんだ。(続く)

f:id:goisan:20170915123420j:plain

テーネンジャー、屋形船に乗る

一昨日の土曜日に久しぶりにテーネンジャー8のメンバーで屋形船ツアーに行ってきた。前にも紹介したがこのテーネンジャー8というのは同じ職場で一緒に定年を迎えた8人の仲間で作った会である。本来は7月に行う予定だったのだが、幹事のごいさんが気づくのが遅れて、9月に延ばしてもらったという経緯がある。今回はみんなの交通の便を第一に考えて品川の「平井」という船宿に申し込むことにした。

さて屋形船ということで天候は気になるところだ。もちろん屋根があるから雨天決行なのだが、それでも雨が降れば面白さは激減してしまう。ということで週末のお天気を気にしていたのだが、どうやら天気は回復するとのこと。東京湾の美しい夜景を眺めることができればほぼ成功と言えるだろうから、これでまずは一安心と言ったところだ。

みんなとは品川駅で待ち合わせたが、ごいさんが行くとすでに全員が集合していた。みんなさすがに先生をやっていただけのことはあると改めて思う。こういうのは本当にスカッとしたいい気分になるものだ。それだけみんなの期待度も大きいということだと思った。あとは屋形船の雰囲気やお料理が彼らを満足させてくれるように願うだけ。

待合所で待っていると、他に数人の大学生らしきグループと若いカップルが4組ほど集まってきた。どうやら今日のお客さんはこれだけのようだ。船の大きさからいって50人前後は乗れるだろうから実にゆったりしたものだ。飲み物のお替りも頼みやすいし何と言っても動き易い。案の定、右に左にと移動してはパチパチと写真撮影を始めるお爺ちゃんたち。自分もだけどね。若いカップルたちには邪魔な存在だったかも。

f:id:goisan:20170909182704j:plain

お台場周辺で40分ほど停泊するのだが、その間は屋根の上の展望デッキで周りを眺めることができる。レインボーブリッジやフジテレビの建物、自由の女神が見える。予想通り美しい眺めだ。船内に戻れば揚げたての天ぷらが次々と出され、お酒を飲む勢いも増す。それと意外に楽しめたのが、和服姿の若いお姉さんがマイクでいろいろ案内をしてくれるのだが、冗談も交えながらの話しぶりが実に上手いこと。このお姉さんの存在はとても大きかった。

f:id:goisan:20170909183519j:plain

お台場で40分余りを過ごすと再びエンジンがかかり隅田川を上り始める。両側ガラス張りの船内からは外の夜景が綺麗に見える。やがて清洲橋の向こうにスカイツリーが見えてきた。今回の屋形船はここでUターン。こうして2時間半は大盛り上がりのうちに過ぎた。久しぶりだからもっと話もしたかったがこれだけ盛り上がれば幹事としても大満足。

f:id:goisan:20170909185514j:plain

現役の時はそれほどに話もしなかった。ただ退職が一緒だけという縁で結ばれたメンバーなのだが、何故か会うたびに絆が強くなっていくのを感じている。同じ時代を生きてきた同志ということからか。それほどには相手のことを知らない。追及もしない。その程度の関係が過度の期待を持たせないというのがいいのかもしれない。さて次は忘年会だね。

 

「品川駅山手線ホームにある記念プレート」 

f:id:goisan:20170909162412j:plain

 

笑う猫とゴマちゃん

一昨日、母に呑兵衛旅行で買ってきたお土産の「笑う猫」を届けに行ってきた。新しい電池を入れて、母に「猫のお尻を触ってみな」と促す。恐る恐ると差し出した手でちょんと突っつくと、途端に猫がけたたましく笑い出した。猫の鳴き声じゃない。ギャハハハハハと人間の笑い方だ。それもしっぽを軸にもんどり打って笑っている。その笑い声の勢いにつられて母も思わず笑いながら「何、これ」を連発している。自分もそうだが皆さんにもあると思うけどあの胸の苦しくなるぐらいの笑い方だ。仰向けになって笑っている様はまるでひきつけを起こしているかのよう。何が可笑しいのかなんてどうでもよくて、ただそれを見ているだけでこちらも可笑しさが込み上げてくる。

f:id:goisan:20170905161322j:plain

f:id:goisan:20170905161313j:plain

今日は下の子供から預かったお土産も持ってきた。先日に夏季休暇が取れて北海道を旅してきたという。お土産は旭川動物園で買ったアザラシのぬいぐるみだった。昔流行ったあのゴマちゃんみたいだ。こちらは間違いなく本物で触り心地がとてもいい。母は大事そうに抱えて今晩から一緒に寝るよと嬉しそうに言っていた。下の子は小学校に上がるまでは何かと母親の世話になっていたから、母もその子からこうしてお土産をもらうのは相当に嬉しいのだと思う。

似たような土産になってしまったけど、違うタイプだし母もそれぞれに喜んでくれたみたいで良かった。その後は二つを並べては眺めたりゴマちゃんを抱いたり猫を笑わせたりと忙しそうだった。そんな母の姿はまるで子供のように見えた。いい年のとり方って案外子供のようになっていくことなのかもしれない。母の笑っている顔には欲というものが感じられず、ただ純粋に生きていることだけを楽しんでいるようだ。その様子が毎日毎日を無邪気に遊んでいた子供の頃と同じように思えたのだ。

f:id:goisan:20170905161201j:plain

f:id:goisan:20170905163322j:plain

このところの母は少し年を取ったような気がする。毎日1時間歩いていたのが30分になったりテレビを観る時間もかなり増えたりと、行動範囲も狭まった感じだ。しょうがないこととはいえちょっと寂しい。友人の母親の多くはすでに他界していたり施設に入院していたりする。それに比べて自分はまだ母に甘えている。母の健在のおかげであちこちにも出かけられるし好きなことができる。そのことは決して忘れてはいない。でもあと少しの間だけ。やり残しを終えたらしっかり親孝行するからさ。

 

第9回 呑兵衛達の旅 ~8月24日~

前日早めに寝たお陰で4時少し過ぎに目を覚ました。朝走ることはみんなに言ってあるので自分の寝場所はいつも出入り口のすぐ側だ。シャツ、パンツはすでに履いているので、浴衣を脱ぎ靴下を履く。いつもそっと出るつもりでいるのだがドアの音が微妙に大きい。目を覚ましても寝たふりをしてくれているのだろうなどとありがたく思いながら外に出る。

時間は4時半を少し回った所。6時までに戻ることを考えて13キロぐらいを目安とする。まずは誰も歩いていない温泉街を一気に駆け下りていく。その後6.5キロの折り返し地点までは周りを見渡しながらのんびりモードだ。その分、帰りは淡々とホテルを目指す。最後の1キロの上り坂はけっこうきつかったが、予定の13キロを無事に走り終えて温泉に浸かる。う~ん、まさに極楽。

f:id:goisan:20170824053429j:plain

宿を8時半に出発して、お土産を求めて「日本こけし館」に立ち寄る。英会話でお世話になっている講師の先生に小さなこけしの付いたキーホルダーを購入。他に可愛いらしい顔をしたこけしと目が合ってしばらく眺めていたのだが埃をかぶったのを想像して買うのを諦めた。続いて鳴子狭に寄ったのだが、今回はそれほどの印象は無かった。秋の紅葉の時期にはきっと素晴らしい眺めを楽しめることだろう。

f:id:goisan:20170824090836j:plain

f:id:goisan:20170824101712j:plain

帰りに仙台駅でお土産を買いたいというみんなの要望を入れて青葉城址の見学は取りやめる。そして最後の見学場所となったのが伊達政宗を祀る霊廟「瑞鳳殿」だ。100段はあるという長い階段がけっこう辛い。ようやくにして辿り着いた「瑞鳳殿」の絢爛豪華さを前にして、改めて伊達政宗の生きざまを思う。

f:id:goisan:20170824121029j:plain

f:id:goisan:20170824121101j:plain

f:id:goisan:20170824121916j:plain

f:id:goisan:20170824122210j:plain

さて旅の〆の昼食は仙台名物の牛タン定食だ。お店の名前は「旨味 太助」と言う。目と鼻の先に「味 太助」という店があったがどうも兄弟でやっている店らしいのだが、何かのトラブルで今では袂を分かっているらしい。4枚の牛タンとテールスープがついて1,500円也はお手頃価格だ。味も良かったし歯ごたえもあってまずまずだったと思う。肉がカナダ産とでっかく書いてあるのも堂々としていて好感が持てた。

食事が終わるとすぐにレンタカーを返却。これから1時間余りがお土産タイムだ。毎回のことだがこのお土産代が馬鹿にならない。それに荷物も増えて重くなる。それでも買わなければならないのは、こうやって気楽に旅に出られるのも周りの皆さんのお蔭だから。最後に冷えたビールを購入して新幹線に乗車。そしていつものように横浜駅近くの居酒屋で反省会をして帰宅と相成る。

こうして9回目の呑兵衛旅行は終わった。今年もいろんな場所を見学したくさんのことを学んだ。全体的にはいつものように楽しく過ごせたのだが、一つだけ自分の気持ちの中にひっかかるものを感じた。それは仲間と合わせることがずいぶんと下手になったということだ。今年は仕事から離れて人とのつき合いが大きく減ったせいなのか。それともそういった気持ちの衰えみたいなのもがあるのか。

そんなことを考えては、自分はこれからどうしたものか、なんてことでちょっと悩んでいる。

 

f:id:goisan:20170824131933j:plain

 

第9回 呑兵衛達の旅 ~8月23日~

翌朝は2度寝をしたせいで起きた時にはすでに5時を過ぎていた。7時からの朝食のことを考えて一瞬ためらったが距離を短くしても走ることにした。日が上がってはいたがそれでも朝の松島海岸沿いを走るのは気持ちが良かった。誰もいない雄島と五大堂を見学しての1時間ほどのランニング。ホテル入口から玄関までの最後の坂道を上り終えたら汗でびっしょりになった。でも満足感一杯。大きなお風呂で汗を流して気分もすっきり爽やかになった。

f:id:goisan:20170823053058j:plain

f:id:goisan:20170823053749j:plain

f:id:goisan:20170823054024j:plain

この日は松島湾の島巡りから始まった。8時30分に宿を出発して9時出航の遊覧船に乗る。50分の行程で1,500円也。いろんな説明も過去に何度か聞いているし、それに船からの眺めだとどうしても松島という実感がわいてこない。ほどよくエアコンの効いた船内で揺られていたら途中からうとうとした状態に陥ってしまった。

次は五大堂。さすがに早朝とは違い人出が多い。ここの土産物屋さんで笑う猫なるおもちゃが売られていた。お尻を触るとけたたましい声で笑いだすのだ。これが何回聞いても面白い。見ているこっちまでつられて笑ってしまう。心がいかにも健康になりそうだ。迷いに迷ったけど猫好きの母のために一つ購入することにした。いつも敬老の日のプレゼントで悩むけど今年はこれで何とかなるかしら。

f:id:goisan:20170823102802j:plain

松島を後にして石巻日和山公園に向かう。高台にあるここからは震災の被害の様子が一望できる。石ノ森萬画館を指してI坂さんと喋っていたら一人の人が声をかけてきた。地元の方のようで、特に聞いたわけではなかったが慣れた感じでその時の様子を話し始めた。30分間ぐらいだっただろうか。地震が起きて津波が来るまでの時間になぜ逃げなかったのかという心理状況やこれからの復興計画など、実に興味深い話だった。振り返ってみるとこの話が今回の旅行で一番思い出深いものとなった。

f:id:goisan:20170823120014j:plain

「南浜町……新興の住宅地として賑わっていたがすべて流されてしまった。この跡地は公園になる予定だという。」f:id:goisan:20170823120827j:plain

思わぬ話を聞いて少し遅れ気味になったけど、続いて「こもれびの森」という森林科学館を目指す。ここの所長さんが神奈川県の元教員というご縁で立ち寄ることになったらしい。その佇まいを見ていて昔生徒たちと行った野外教育活動が思い出された。クマがあちこちに出没するのだという。ごいさんには到底できない仕事だと思った。なんだかんだと1時間ほど案内をしてもらいながら話を聞くことができた。

f:id:goisan:20170823144722j:plain

f:id:goisan:20170823144731j:plain

ということで今日の宿のある鳴子温泉に向かう。鳴子と言えばもちろんこけしで有名な場所だ。おっとホテルに直行かと思いきやその前に「尿前(しとまえ)の関」に寄るという。いかにもM橋さんらしい。彼はこういう知る人ぞ知るというところが好きなのだ。もっともだからこそ自分たちの勉強にもなるのだけどね。

芭蕉の『おくのほそ道』に登場する。義経や弁慶との関わりもあるという。」

f:id:goisan:20170823164640j:plain

温泉はかなり強い硫黄のにおいが鼻を突いて、いかにも効能があるという感じ。夕食は豪華でお腹いっぱいになった。今日の仲居さんはベテランさん、こういう時のお爺ちゃんたちは実に静かなものだ。2日目の夜は例年通りにみんなのパワーが極端に落ちる。眠い飲めないの連発だ。それでも10時半消灯って、やっぱり早いよなあ。

f:id:goisan:20170823185414j:plain

 

第9回 呑兵衛達の旅 ~8月22日~

朝7時50分に横浜で待ち合わせをして東京駅に向かう。ここで伊豆から出てくるI坂さんと合流。当然のように二人で車中での飲み物を物色。8時56分、東北新幹線やまびこ129号は予定通りに動き出す。飲み物をテーブルの上に置いて二人はやんややんやと盛り上がっている。他の3人はM橋さんの車の運転ということに気を遣っていて宿まではお酒を口にしない。こう書くといかにも我々が人でなしのようだけど、二人が騒ぐのは毎度のことだから暗黙のうちに認めてもらっている……と思っている。さて仙台までは約2時間の旅ということで、早く飲まないと着いてしまうなんてことを言っていたら足りなくなって車内販売で1本追加することになった。まあこれも本当は計算のうちなんだけど。I坂さんと売り子さんの会話が絶妙で何とも面白いのだ。車内販売は利用すべしだね。

「ここに崎陽軒のシウマイがあれば言うことがないのだが……」f:id:goisan:20170822085544j:plain

11時に仙台駅に到着しすぐにレンタカーを借りて最初の見学地の多賀城跡に向かう。今は何もなくただ跡が残るのみだが、すでに奈良時代にここに陸奥国府と鎮守府が置かれて政治や文化の中心地として栄えていたという。都からこんなにも離れたところでと思うだけで感慨深いものがあった。その後、埋蔵文化財調査センターに寄って昼食となる。昼食は「すし哲」というお寿司屋さん。どうやら相当な人気店らしくお客さんが次々とやってくる。自分はちらし寿司を注文。寿司なんて回転ずししか食べたことがないので旨いのかどうか分からないが、値段が値段だから旨いのだと思うことにした。

f:id:goisan:20170822123008j:plain

f:id:goisan:20170822140448j:plain

それから塩釜神社瑞巌寺と見学する。瑞巌寺は平成の大修理ということだったが、本堂が見られたことは幸いだった。もっとも仙台には伯母さんが住んでいたこともありここには何度も来ていてごいさんにとってはさほど目新しくない。今日の見学はどちらかというとお付き合い的な気分だ。続いて「みちのく伊達政宗記念館」を見学。ここで一通り伊達政宗の人生を辿ってみて、彼の人となりが理解できたような気がした。

塩釜神社 奥の古い建物が本殿」f:id:goisan:20170822144637j:plain

瑞巌寺の本堂」f:id:goisan:20170822153129j:plain

「蝋人形展示 右に立っている子が政宗f:id:goisan:20170822163149j:plain

さていよいよ待望の宿に向かう。その宿は「大観荘」と言い、少し上った丘の上に建っている。部屋のガラス窓の向こうにはいかにも松島らしい光景が広がる。夕食は懐石料理風。担当してくれたのは研修生という名札を付けた若い女の子だった。こういう若い子にちょっかいを出すのはいかにもお爺さんの集団らしい。そんな会話の中でなんとその子が神奈川県のそれもS渡さんの家の近くに何年間か住んでいたというのが分かって、ますます盛り上がった。その子にも身近に思ってもらえたのは何よりだった。

f:id:goisan:20170822175425j:plain

f:id:goisan:20170822200048j:plain

部屋に戻って恒例の2次会となる。旅の初日ということでみんなさすがにまだまだ元気だ。自分も初日の夜が一番楽しい。明日も旅が続くという安心感からだろうか。そんな楽しい時間も最近はみんな呑まなくなって早く寝てしまう。それがちょっとばかり物足りない。呑兵衛達の旅は普通の旅になるのかな、それとも終わりが近づいているのかな。そんなことがちらっと酔った頭をよぎった……ような。

 

第9回 呑兵衛達の旅、始まる

今年もまた呑兵衛達の旅が始まる。いつだったか忘れたが、飲み会の席で青森県出身のI坂さんがたまたま口にした田酒というお酒の名前。それならば青森まで行って呑んでみようではないかと、いかにも酒好きの考えそうな計画がまとまったのだ。もちろんそこは先生の集団だ。ただ酒を呑みに行くのでは芸がない、しっかりと観光も楽しもうということになった。この旅の一切はM橋さんという社会の先生に任せっきり。彼は知識も豊富だし実際にあちこち歩いているからまさに適任なのだけれど、要は自分たちが面倒くさいだけなのだ。

さてその地に行ってそこの地酒を呑むということに味を占めた連中たちはさらに大いに盛り上がり、翌年からの地酒巡りの旅を恒例の行事とするようになった。そうして、青森、秋田、岩手、山形、石川(能登)、福井、京都(丹後)、福島ときて今年は宮城県、松島と鳴子を訪ねる。それぞれで美味しいお酒を呑みそして思い出もたくさん残してきた。その中で、東日本大震災の前年に訪ねた岩手の三陸の思い出は忘れられないものとなった。

明日は朝の8時56分発の東北新幹線で仙台に向かう。う~ん、今から電車の中で旨そうにビールを呑んでいる自分の姿が思い浮かぶ。しばらくぶりのワクワク感だ。こういう気持ちって、一人でマラソン大会に出向く時には起きることがないのだが。やはりこれも気のおけない仲間との一緒の旅というその安心感が大きいのだろう。

ということで改めてその仲間のメンバーを簡単に紹介しようと思う。まずは今年71歳のM橋さん。この旅行の添乗員兼カメラマン。若い頃から教職員組合で活躍して、今も退職者で作る組合の委員長をやっている。また現地ではレンタカーの運転も担当するが、そこいらのジェットコースター以上のスリルを味あわせてくれる。実に豪快な運転だ。だからごいさんはいつも一番後ろの席で隠れている。

次はごいさんの1つ上のO矢さん。教科は同じ数学。実は高校の先輩でもある。彼が大学受験をした時は前年の東大入試の中止の煽りを受けて大混乱した年だった。彼もこのことをよく口にする。彼の人生の大きな岐路だったに違いない。いつも落ち着いていて的確なアドバイスをくれる。ごいさんにとって頼もしい存在だ。

次は1つ下のI坂さん。ごいさんのブログにもしょっちゅう登場している。彼のように生きることがきっと人間の本来の姿なのかと思う。実に自然に生きている。彼とは今まで本当によく呑んだ。1回3時間は当たり前、最長で12時間というのがある。その間に何を話したか全く記憶にない。酔ってしまえば話なんかどうでもいい、そこに友がいれば、そんな感じだったのだと思う。

そして2つ下のS渡さん。グループ唯一人の独身貴族。当然お金もいっぱい持っているのだが、競馬をやって使おうとしたら逆に100万円稼いでしまったという。お金のあるところにお金が集まる、確かにそう思いました。

とまあ、こんな呑兵衛5人の珍道中。いよいよ本日スタート。帰ってきてからのレポートを楽しみに待っていてくださいね。では、行ってきます。

 

f:id:goisan:20141012184937j:plain