ふるさと

青春切符のもう一回分を使って、小学校6年の夏まで住んでいた町まで行ってきた。茨城県日立市にあり、常磐線の「常陸多賀」という駅で下車する。正面には大きな通り(「よかっぺ通り」と言うらしい)があるが、人がほとんど歩いていない。土曜日の午後1時だというのに、全体ががら~んとしている。ここは日立製作所のお膝元の街だ。ごいさんが小さい頃は多くの人で賑わっていたんだけどなあ。

気を取り直して、お昼を食べる。当然、かつ丼です。子供の頃に食べた店とは違うが、味付けは似ている。お店の中の様子も子供の頃を思い出させてくれる。多賀に来たらまずこの店に寄ることにしている。

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腹ごしらえをしたら、バスで「平和台霊園」に向かう。霊園は小高い丘の上にあって、ここからの眺めはとても素晴らしい。遠くで空の青と海の青とが融け合っていて雄大で美しい。お墓に眠っている人たちもきっと幸せだと思う。

墓参りが終わって、帰り道は歩きだ。ここからはずっと下りなので苦にはならない。そして途中に「大久保小学校」がある。ごいさんの通った小学校だ。校舎は新しくなってしまったけど、グラウンドの雰囲気や遊具に懐かしさを感じる。入学式の時、友達のお母さんに撮ってもらった写真はなんとカラー写真だった。

いったん駅まで戻って、今度は海に向かう。駅から歩いて15分くらいの所にある「河原子(かわらご)海岸」だ。当時もプールはあったけど、やっぱり泳ぐならこの河原子海岸だ。いきなり太平洋だから、波も結構高くて、波遊びはなかなか楽しかったよ。

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さて、最後はごいさんが住んでいたところだ。そこはもう駐車場と畑になっているけどね。常磐線の線路のすぐ脇で、汽車の走る音や汽笛の音がなんとも心地良かった。その頃はまだ蒸気機関車だった。常陸多賀には操車場があって、貨物車両の入れ替えなんかをただボーっとして見てるのが好きだった。運転士さんと目が合って、豆炭をもらうこともあった。今は線路に入れないようになっているが、当時はそんなことはなく線路の上でも遊び放題だった。線路に耳を当てて列車の走っている音を聞いたりしたものだ。

ごいさんの住んでいた辺り一帯は大きく変わってしまった。もうごいさんのことを覚えている人もいないようだ。でもやっぱり懐かしいんだよね。あちこちの道を歩いたりすると、ところどころに思い出が転がってるのがいい。

たまにはこういうところに戻ってくるのも必要だと思う。いつまでも子供の頃の心を振り返るのって大切だよ……ね。

 

下の写真で、家の間にある細い路地を入った突当りにごいさんの家があった。関洋服店のおばさんともよく話をしたけど、今は誰も住んでいない。

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