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東日本大震災の日に寄せて

6年前の今日14時46分に東日本大震災が発生した。その時は4階の職員室にいたのだが、窓のすぐ外にある電信柱が今にも倒れそうなぐらいに左右に大きく揺れた。一度収まったもののまたしても大きな揺れ。初めて机の下に身を隠すほどの恐怖を感じた。3月の午後なので学校にいる生徒は少なかったが、その後電車が止まりその多くは帰宅困難者となった。当時は防災の担当をしていたから、倉庫から乾パンや水、それと毛布などを大慌てで用意したのを思い出す。幸い、その日のうちに保護者の方が迎えに来てくれて生徒は全員帰路に就くことができた。

自分もやっとのことで自宅にたどり着いたのだが、そこでテレビに映し出される津波の映像に驚愕した。それまで地震が起こるたびに何度も耳にしていたのに特に関心も持たなかった津波という言葉。それが今、家を流し車や船を運びそしてたくさんの人をのみ込んでいる。とてもまともに見ていられる状況ではなかった。あまりの恐ろしさに顔から血の気が失せていくのを感じていた。

津波のニュースがひとしきり終わると今度は福島第一原子力発電所の事故のニュースが伝えられ始めた。一瞬チェルノブイリの悲惨な原発事故のことが頭をよぎったのだが、ニュースではそれほど慌てている様子もない。それぐらいなら日本の技術力をもってすればすぐに解決できるだろうなどとその時は実に安直に考えていた。それがニュースが伝えられるたびに、次から次へと新事実が出てくるという有り様。現実がきちんと伝えられていないなど不信感は募る一方で、もしかしたらこの関東一帯も放射能で覆われるのではないかと思ったほどだった。

あの津波で家や思い出の品々を失いその上かけがえのない家族までをも亡くしてしまった人たちのこれからを考えた時、何を祈ればいいのかも分からないほどだった。また福島では、あの事故のために10万人以上の人々が全てを残して強制的に避難させられた。これもまたそれまでの人生が消えてしまったかのような思いだったのではないか。そうしてすぐに戻れるという期待も見事に裏切られた。

まもなく浪江町の一部や飯舘村にも避難解除の指示が出されるという。これでだいぶ多くの町で避難解除となるのだが、どうやらそんなに簡単に戻れるものでもなさそうだ。除染がまだ完全に終わっていないという不安感がある。それから病院などの生活基盤もまだまだ不十分だ。いろんな思惑が錯綜する中での結論らしいと聞いたのだが、どうにも国のやり方には納得がいかない。

1年1年と記憶は少しずつ薄れていくのだろうけれど、こうしてその日のことを思い出し忘れないでいることが、その時に犠牲になった人たちへの供養や今も苦しんでいる人たちへの励ましになるのではないかとは思う。

そこでごいさん、ふとこんなことを考えてみた。今日は東北の物品を何かしら一つ買う日にしたらどうだろうって。一人1,000円として1万人で1,000万円。今日だけじゃなく震災のことを思い出した時に東北のものを一つ買うっていうのもいいかな。これぐらいならごいさんにもできそうだし。

 

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