iPhone 購入とジョブズの話

昨日子供と一緒に iPhoneiPad を購入してきた。iPhone なんて自分とは縁遠いものと思っていたから手にした時は不思議な感じがした。iPad はどうしたものかと迷ったが、今までもタブレットを使っていたのとあの大きな画面は魅力的ということで結局購入することにした。子供と一緒ということもあるのか、自分でも大胆な買い物をしたものだと思う。一人だったらあれこれ悩んで、買うに至っただろうか。子供の手前、なんかいいところを見せようなんて気持ちが多分に働いたような気がする。

子供は最新の iPhone 7 Plusでごいさんはその前の iPhone 6s だが何が違うのか分からない。だいたいそれらの機能の何分の一しか使いこなせないだろうから、正直言って贅沢な話だ。いつから電話にこんなにお金をかけても平然としていられるようになったのだろうか。

それにしてもついに iPhone とはね。一時スティーブ”・ジョブズにはまったことがある。担任をしてクラス通信を出していた時、適当な題材はないかとネットを見ていて偶然にある文章に目が留まった。読んでみて素直に感動して、さらに何度か読み返した。久し振りに胸が熱くなる思いがした。その時その文章が何かの抜粋であることは分かったが誰のかまでは考えなかった。何年か経って、机の片づけをしていたら少し黄ばんだ紙がファイルの間からぱさっと落ちた。それが印刷して残しておいたその文章だった。そしてその時にそれがスティーブ”・ジョブズスタンフォード大学2005年の卒業式で行われた式辞であることを初めて知った。そうあの有名な「ステイ・ハングリー・ステイ・フーリッシュ」の一節のあるものだ。

それからジョブズに関する本を立て続けに何冊か読んでみた。制作における妥協を許さない厳しい姿勢。プレゼンテーションでの自信に満ち溢れたパフォーマンス。とても惹きつけられるところだ。一方でごいさんとは全く違う人種であると感じたし、彼のようでなくてよかったとも思った。それだけ強い個性を持った人物だった。2011年10月5日死去、享年56歳。「……。私が死ぬ時に一緒に持っていけるものは勝ち得た富ではなく、愛情にあふれた思い出だけだ。……」という最後の言葉が残されているが、彼が言うととても重く感じる。

さてそんなことで今 iPhone を手にして、子供のようにワクワクしている。設定は子供に聞きながらやっている。これもまたなんとも嬉しいことだ。今までは自分が教えて子供が聞き従うという関係だった。それがその立場が逆転したというのがなんだか可笑しい。それで分かったのだが、子供は教え方が意外と上手い。何度も聞き直すごいさんに文句ひとつ言わずに、何度でも同じように丁寧なのだ。これって先生に向いているんじゃないかと思ったりする。

子供は一見無頓着に見えるのだが、つき合ってもらえればその真面目さが分かってもらえそうだ。愛想はあまりないけど上司や仲間からも支持されるに違いないとほっとする。しばらく会話もしていなかった子供と話してみて、見かけに比してはるかに大人になっているのを感じて嬉しく思ったのだった。

 

f:id:goisan:20161008103337j:plain

 

会津鶴ヶ城ハーフマラソンのラン

一昨日の日曜日に、会津鶴ヶ城マラソンを走ってきた。土曜日の朝9時にバスタ新宿を出発して、午後1時過ぎに会津若松に到着。今回はS田さんも一緒に行く予定だったのだが、教え子のクラス会と重なってしまい残念ながら棄権することになった。

なんでまた会津と思われるかもしれないが、昨年は白虎隊を一度は訪ねてみたいというのがあった。それで参加してみたのだがこれがとてもいい大会だった。小学生や中学生の演奏があったり太鼓での応援があったりとなかなか賑やかだ。それに沿道で応援してくれる人もたくさんいて、ハーフの大会にしてはかなり盛大だ。小学生や中学生を対象にした2キロや3キロの部もあって、会場は和気あいあいとして楽しさが溢れている感じなのだ。

さて前日は、ホテルに荷物を預けて2時間余りの観光ランを楽しむ。と言っても、実際に回ったのは蔵元ばかりだったけどね。夕方5時からは、歓迎レセプションなるものに参加してみた。参加費を2,000円も取られたのに食べるものがあまり無くてとてもがっかり。地元のランナーの方たちと楽しく話ができたのが救いかな。

f:id:goisan:20161001151953j:plain

レース当日、朝5時のモーニングコールが鳴る前に目を覚ます。6時から朝食を摂り、7時少し前のシャトルバスに乗り込む。スタート1時間ほど前に会場に到着。今日はかなり暑くなるという予報だ。それでもハーフということで、先週の榛名湖の時の気分とはだいぶ違う。今日はとりあえず昨年出した1時間43分50秒の記録を破ることが目標だ。

ごいさんはA~Eのちょうど真ん中のCブロックからのスタート。参加者は全部で2,300人ほど。8時20分、号砲が鳴っていよいよスタートだ。最初は1キロ余りの下り坂から始まる。ここで少しでも時間を稼ぎたいところだが、思いはみんな同じらしくがんがん飛ばしていく。ごいさんも少し無理をしたせいか下り終わった後で息が切れ、若干のスピードダウン。ここでかなりの人に抜かれて、今日はやばいかと不安がよぎる。

ようやく跨線橋の上り坂に差しかかって落ちてきた人たちを拾っていく形になる。応援の人が増えてそれに応えて走って行くと自然にペースが上がっていく。残り2キロ地点から1キロ余りの上り坂が始まる。スタートの時に下り坂だった所だ。上り坂を得意としている自分がここで抜かれるわけにはいかない。最後は陸上競技場のトラックを半周ほどしてフィニッシュ。タイムは1時間42分44秒。順位は386位。

会津名物のこづゆを頂いて早々に退散する。まだ比較的空いているお風呂にのんびり入り、恒例のお疲れさまビール。電車の出入りや磐梯山を見やりながら一人で飲むのもいいもんです。

会津バスターミナルを16時に出発。磐梯山がバスを追いかけてくる感じで見送ってくれる。そして次第に後ろに遠ざかって行く。「ごいさん、カンバーック」なんて聞こえたような。でも、本当にそんな気分。会津の皆さん、本当にありがとう。来年も来るからね。

f:id:goisan:20161002125402j:plain

f:id:goisan:20161002163822j:plain

 

久しぶりに子供と話して

昨日、一昨日と久しぶりに下の子と話しをした。話題は、iPhoneiPadのこと。お互いちょうど買い替えようとしている所で話題が一致したのだ。もちろん子供の方が詳しいからごいさんはもっぱら聞き役だ。一昨日は夜中の2時近くまで、そして昨日は夜中まで。ここ何年もまともに喋ったことがないのを一気に吐き出すような感じだった。小さい頃からあまり喋る子ではなかったからこんなに話すのにちょっと驚いた。

ごいさんは小さい頃から酒を呑んでは暴れる父親が大嫌いだった。だからろくに口をきくこともなかった。そんな父親のようになりたくないと思っていた。子供に口をきいてもらえない父親なんて寂しすぎる。ではどんな父親がいいのかと聞かれると、実はそれもよく分らなかった。ともかくも子供の意思が大事だ。子供に嫌われたくない。自分が父親になった時にまず頭に浮かんだことだった。

でも実際の子育ては親のエゴだらけだった。勉強はできてほしい。運動もできれば尚更だ。男の子でもピアノが弾けたらいいな。そんな具合に自分にはできなかったことを子供に押し付けた。遊びたい盛りに習い事に通う時間だけが増えていく。小学校5年生の時に1年間に及ぶ入院生活を送った。このまま歩けなくなるとも言われた。その時にそういった親のエゴに気づくべきだった。やっとの思いで退院した直後から今度は塾通いだ。少しでもいい大学に入れば身体への負担の少ない就職先も探しやすいだろうと思ったからなのだが。

中学2年になってある日のこと、頭を金髪に染めてきた。反抗期の始まりだった。無理やり勉強させられているのに嫌気が差したのだろう。それから会話も途絶えるようになった。あれほど子供に嫌われたくないと思っていたのに、その現実が目の前で起きている。父親として自分はどうしたらいいのか分からなかった。自分の父親も今の自分と同じような気持ちだったのだろうか。初めて父の思いを垣間見たような気がした。

それからの子供はろくに勉強もしなかったから当然のように浪人。どうにか第3希望ぐらいの大学に入学した。卒業してからもしばらくはぶらぶらしていたが、一昨年甥っ子の紹介で小さな会社に入社した。長い間のいい加減な生活を心配したが、それが嘘のように真面目に働きだした。生活面が落ち着いて精神面もようやく安定してきたようだ。

今だから思えるのだが、男の子に対しての父親の接し方というのはとても大事なことだ。やがてその子が父親になった時に真っ先に思い出すのは自分の父親のことで、それをベースに自分なりに工夫して次第に父親らしくなっていく。子供が小さい時のお父さんの姿は、母親にも負けないほどに重要なのだということを言っておきたい。

来週、子供と一緒にタブレットを買いに行くことにした。二人で出かけるのも実に久しぶりだ。大した話もしないのだろうけれど、一緒に歩けるのがとても嬉しい。自分の父には経験させてやれなかったことだ。もう少し生きていたら、きっと一緒に飲み屋に行けたに違いない。

 

横浜駅通路に貼ってあった等身大のポスター。みんな群がっていた。f:id:goisan:20160930222750j:plain

 

榛名湖マラソン、完走はしたけれど……

前日は高崎駅前のビジネスホテルに宿泊。朝ホテルを出た時は長袖を着たほうがいいかと思うぐらいだったのに、榛名湖に着いたら真っ青な空に浮かんだ太陽が真っ赤に輝いている。標高1,000mだからいくぶん空気は涼しいはずなのに、日なたにいるだけで汗ばんでくる。9時のスタートの時にはすでに20℃を優に超えていたんじゃないだろうか。

参加人数は1,600人ほどの小さい大会で、ごいさんはCブロックからのスタート。Fブロックまであるからほぼ真ん中あたりというところだ。AブロックやBブロックにはそうそうたる体つきをした人たちが並んでいる。Cブロックになって少し穏やかになったけど全体的にやる気がひしひしと伝わってくる。それもレースが終わってみて納得がいった。

f:id:goisan:20160925073234j:plain

最初はスタート地点を中心に小回りに一周する。それから一周8キロ弱の榛名湖畔を5周するというコースだ。一番の難関は最初にある延々2キロも続く上り坂だ。始めの1キロはそれほどではないがそれから徐々に傾斜がついて、最後の500mはかなりのきつさになる。下から見上げるとまるでスキーのジャンプ台のように見える。それを逆走していく感じなのだ。

それでも最初はまだ元気があるからそれほどの苦もない。次の下り坂でスピードを上げたいのだが、これまた急すぎてどうしてもブレーキをかけてしまう。これも足への負担となる。その後も小さなアップダウンを繰り返すが、これがじわじわと効いてくる。2周目、3周目と2キロの上り坂をどうにかクリアしたのだが、ついに4周目、てっぺんまであと300mというところで足に違和感をおぼえて立ち止まる。

案の定、次の下り坂で一気に両足が攣ってしまう。まだ10キロ以上も残している。焦って走り出すと、足がもつれて転びそうになる。何とか堪えながら走り続けて残り一周に入る。最後の2キロの上り坂も休み休みにはなったがなんとか走り切った。それでも問題なのは下り坂の方なのだ。足に痙攣が起きるのはたいがい下っている時が多い。上るも地獄、下るも地獄といった感じだね。

休み休み走って残り3キロの地点までやってくる。足の方は攣ったままという感じだが、ここからは止まらずに最後まで走り通そうと決意する。周りには歩いている人も多くて何度も止まりたくなったが、どうしてもこの意地だけは通したかった。あと2キロ、あと1キロ、あと500m、そしてやっとの思いでゴールイン。タイムは4時間4分7秒。一年ぶりの4時間オーバーだ。

終わってみて、もう少し何とかならなかったかと悔しい気持ちだ。順位的には男子1,152人中333位、60歳代では138人中17位だからメンツだけは保たれた感じ。課題も少しは見えたから参加したこと自体は悪くなかったと思う。

送迎のバスも受付やトイレなんかもストレスは一切なし。役員さんもボランティアさんもみんなにこにこしいて優しかった。エイドでの中学生の大きな励ましの声、すごく良かった。本当にありがとう。でも来年はどうしよう。あの坂、嫌だなあ~。

 

上州名物「焼きまんじゅう」。味噌ダレがなんとも美味しい。f:id:goisan:20160925143519j:plain

 

プレシーズンマッチ

この長雨が終われば爽やかな秋晴れの日がやってくる。そうしてごいさんにとってのマラソン6年目のシーズンが始まる。仲間のS田さんと2人で走り出して最初に出場した大会が5年前のタートルマラソンだった。10月下旬だというのに気温は30℃を超えていた。後半の13キロ地点で足がつり始め15キロ地点では両足がつってしまった。だましだまし走っていると両側には同じように足をつった人や熱中症気味の人がばたばたと倒れている。翌日の新聞には30人を超える人が熱中症で病院に運ばれたという記事が載っていた。この時のタイムは2時間3秒。このはみ出した3秒が悔しかった。S田さんも目標の2時間30分でゴールできたことで俄然やる気が出たようだ。その後フラフラになりながらも意地でも居酒屋に入ってビールを頼んだが、それを目の前にして飲む気が起こらない、いや飲めなかった。苦くも懐かしい思い出になった。

それから5年が過ぎた。その間にA美さん、Y村さんが加わってメンバーは4人となった。今年のS田さんの目標はやはり4時間30分切りかな。もう少し頑張ってサブ4か。ハーフまではごいさんとそれほど差はないのだからサブ4は十分に可能なはずなのだが、どうしてかフルになると弱気になってしまう。

ではごいさんの今シーズンの目標ということになるのだが。この4月の霞ケ浦マラソンで3時間34分56秒という記録を出した。あの大雨と強風の中での記録だから自分でもかなり評価している。となるといよいよサブ3.5ということになる。実際、青梅マラソンの30キロの記録が2時間23分39秒でキロ4分48秒で走っていることになる。サブ3.5の目安はキロ5分だから、それを考えれば十分可能性がある。そうは思うのだけど、実際に42キロをキロ5分を切って走り通さなければならないというのはとんでもなく簡単ではないよ。

それでも30キロまではキロ4分台で走っているのだからごいさんにスピードがないということでもない。要はそれが最後まで維持できるかどうかということだ。そう考えて、今夏はいつもより多く走ってきたつもりだ。今までの中では一番頑張ったと思うのだが、この年になって体力がつくのかどうか、そんな疑心暗鬼もあって最後までそのスピードで走り切れるという自信を持てないでいる。

ということで、その辺の確認のために今度の日曜日に榛名湖のフルマラソン、10月2日に会津鶴ヶ城ハーフマラソンを走ってみることにした。榛名湖マラソンは一周8キロほどの周回コースでアップダウンが厳しいと聞く。会津のハーフではスピードを追求してみようと考えている。どちらも自分の精神力を試すにはいい機会だと思う。

最近は自分の体力の限界を考えることがある。いつまでも記録を追い求めることはできないだろう。だからこそできることはやっておきたいのだ。ニューヨークやボストンも一度は走ってみたいしね。今も練習は好きではないが、いろんなレースのことを考えているのはとても楽しい。これも立派な生きがい……だね。

 

学校は文化祭の準備で大忙し。f:id:goisan:20160923141248j:plain

 

リオパラリンピックが終わって

リオのパラリンピックが終わった。今回はテレビでの中継が今までに比べて何倍もの時間になったのだが、それでも生中継で見られないものや録画でさえ放送されないものも多かった。オリンピックとの差の大きさを改めて感じさせられた。ただ以前に比べれば放送の総時間も圧倒的に増えたしNHKや民放でもけっこうニュースで扱っていたので、一般の人も多少なりとも関心を持たれたのではないだろうか。そういう点では東京パラリンピックに向けて一定の成果があったということにしておきたい。

やはりこういう大きい舞台で頑張っている選手たちの映像を見られるというのはいいことです。ウィルチェアーラグビー車椅子バスケットボールはその迫力やスピード感がたまらない。手足を失った選手が懸命に走ったり泳いだりする姿を見ると本当に凄いことだと思う。彼らなりに相当に考え工夫しトレーニングを積んだ成果なのだろう。水泳でメダルを取った津川君や中島君のインタビューは本当に素直な気持ちが表れていて新鮮だった。聞いていて思わず笑みがこぼれる。ウィルチェアーラグビーの銅メダルを獲得した瞬間、その感動に思わずもらい泣きをしてしまった。

メダルの総数は今までで一番多かったそうだが金メダルが1個も取れなかったのは初めてのようだ。世界のレベルが確実に上がっているという。その背景には、選手の強化はもちろんだが全体の底上げがなされているのだと思う。世界中でこのパラリンピックを目指す子たちが増えているのではないか。障がい者への理解が進み、それぞれの国において大なり小なりバリアフリー化が進み、スポーツができる環境が整いつつあるということなのだと考える。

日本でも今回の放送を見た多くの子たちが4年後の東京を目指してみようなんて思ってくれたら嬉しいことだ。もちろんそう簡単に代表になれるわけではないが、これらのスポーツを楽しむことを知って、彼らの人生が少しでも豊かになってくれたらと思う。

さらにこのパラリンピックで見せた選手たちの頑張る様子は、障害のある子たちを支えている家族の人たちをも大いに勇気づけたのではないかと思うのだ。我が子にも何かしらできることはないか。スポーツでなくともこの子に合ったものが何かしら見つかるのではないか。そんな気持ちを持てた人も多くいたのではないかと。

さて次は地元東京での開催だ。参加の形態は選手以外にもさまざまにある。応援するだけでも十分だし、余裕があればボランティアをやってもいい。目の前で同じ仲間たちの活躍を見れば、きっと大きな勇気をもらえるに違いない。彼らの強い精神力や忍耐力はきっと見ている人の心に届くはずだ。もちろん我々にもね。

東京ではどのように開かれるか分からないが、障害を持つ子やその家族、それに学生の入場料は無料にしてほしいものだ。一人でも多くの子に実際に見てもらうことで彼らへの理解が進めば、社会もより良い方向に動き出すと思えるから。

う~ん、ますますパラリンピックのボランティアに興味が湧いてきた。

 

久しぶりに多摩川まで走ってきました。往復32.5キロ。f:id:goisan:20160921155548j:plain

 

秋のお墓参り

今年も秋のお彼岸がやってきた。雨が落ちてきそうなどんよりとした天気だったが、中日の木曜日の天気も不安定そうなので今日墓参りに出かけることにした。年に春と秋の2回、毎度毎度の代わり映えしない恒例行事である。もちろんそれだけ平穏に暮らせていることだから決して不満はない。

いつものように実家に母を迎えに行く。そしていつものように母は大きなおはぎを作って待っている。熱いお茶と一緒にまずは1個を食べさせられる。それから横浜の外れにある父の墓に向かう。いつものようにお墓の掃除が始まる。もう今年はやらないんだと言いながら、いつもと同じようにごしごしと懸命に墓石を拭いている。綺麗になったところでお供えを上げ、お線香に火をつける。

父の墓の隣に伯母さんの墓がある。娘は仙台にいてなかなか来られないということでこちらも同じようにしてお線香を上げる。この伯母さんにはいつも可愛がってもらっていて、ごいさんは大人になってからもずっと「あや子姉ちゃん」と呼んでいた。頼りにもなったし親戚の中では一番好きだった。

次は横浜の中心に近いお寺に眠るおばあさんのお墓だ。このお墓にはおじいさんや伯父さんも眠っている。高台にあって見晴らしがいい。夜景は見事だろうと思うが、さすがに夜のお墓には来られない。この横浜のおばあさんは小さい頃のごいさんにとって大事な存在だった。一年に一回ぐらい横浜から遊びに来てくれるのだがそれがどんなに待ち遠しかったことか。ごいさんが小学校に行っている間に帰ってしまうことが多かったが、その時の悲しみは今でも思い出すほどだ。

小学校6年になって横浜に引っ越してきて近くに住むようになった時はどんなに嬉しかっただろう。それなのに田舎で会っていた時ほどに優しくしてあげなかった。まだ元気だと思っていたのにくも膜下出血での突然の死。まだまだ何かしてあげなきゃいけなかったという思いが強く残る。

雨は降ったり止んだりしていたが、不思議とお墓参りしている時だけは上がっていて、とくに傘を差すこともなく無事に終えることが出来た。今日は道路も空いていていつもより1時間ぐらい早い。昼食はいつものように回転寿司だ。そしてこれまたいつものように母のおごりだ。ありがたやありがたやと思いながらご馳走になる。こうして母と外で食事をすることなんてめったにないから、母も楽しいのだと思う。もっと食え、もっと食えと言うけど、もう食えないよ。

お腹もいっぱいになって、母を送り届ける。今年も春秋のお彼岸をいつものパターンで行うことが出来た。改めていつも通りにできるという幸せを感じている。なんてありがたいことだろう。

 

彼岸花」さん、今年は遅れ気味かしら? お彼岸、終わっちゃいますよ。f:id:goisan:20160919123037j:plain