氷見の街、ちょい散歩

いつもならマラソンを走った翌日にもう一泊して観光を楽しんでから帰るのだが、今回は走るのに自信が無かったこともあって翌日には帰ることにしていた。それでも少しはどこかに寄りたいという気持ちがあったので帰りの新幹線は夕方の時間にしておいた。大した時間もないから金沢をブラッと歩いてみようかと考えていたのだが、そのうち氷見の寒ブリという名前に惹かれて氷見へ行ってみようという気持ちになった。

富山から高岡に出て、そこで「JR氷見線」に乗り換えて30分ほどで氷見駅に着く。「JR氷見線」はディーゼルで走るローカルな電車だ。運よく「ハットリ君列車」に乗ることができて心もち嬉しい。やがて海が開けて海岸すれすれに列車は走って行く。そしてほどなくして氷見駅に着いた。

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海岸沿いにある漁火ロードを歩く。今日の海はとても静かだ。遠く向こうには立山連峰が見えて眺めは雄大だ。今は歩いている人もいないけど、夏にはたくさんの人が海水浴に来るのだろう。しばらく歩くと氷見漁港に到着。ここで寒ブリが水揚げされるのか。今度ブリを食う時はこの光景を思い出すかしら。続いて「ひみ番屋街」。道の駅にもなっていて大勢の人が訪れていた。新鮮な海産物を中心に飲食コーナーやお土産コーナーと賑わっている。氷見は寒ブリの他に氷見牛や氷見うどんも有名なんだね。

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ここで折り返して帰りは漫画通りを歩く。途中に光禅寺というお寺があって門をくぐると忍者ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿、喪黒福造の石造が迎えてくれた。このお寺、実は藤子不二雄A氏の生家なのだそうだ。でもお寺の中に漫画のキャラクターがあるのもなんか不思議な感じもする。

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商店街をさらに進んで湊川のところまでやってくる。ここに虹の橋というのがあるのだがこれがカラクリ時計になっていて、毎正時になるとカタカタと動き始めるという。待つこと20分、ようやくカラクリ時計が動き出した。テーマ曲に乗って橋の中からハットリくんたちが現れて、ケムマキとの忍法対決が始まる。

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さてのんびりと一回りして駅まで戻ってきた。全体的に人影は少なくて、やはりこういう所で生きていくのは大変なのだと勝手に推測してしまう。街としてはいろいろと盛り上げようとしているようだけど。寒ブリの時期や夏の海水浴シーズンには活気が戻ってくるのかしらね。

黒部名水マラソンの旅もこれにて終了。「生地のまち歩き」ではQちゃんと回れたのも楽しかった。お豆腐にしょうゆなんぞかけてもらったりもしたし。富山の富岩運河環水公園の夜景もなかなか良かった。有名なスタバはちょっと混んでいて入れなかったのが残念。それでもけっこう楽しい旅となった。

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週末らしい週末?

先週の週末は久しぶりにいろんな人と会った。4月からは仕事を辞めて生活も大きく変化した。週のうち4日は外に出て誰かしらと喋ってはいるのだが、それでも仕事をしていた時のような感じで話すという機会はなくなった。そういう点で先週の週末は久しぶりに賑やかな会話を楽しんだ。

まず金曜日は、この前まで働いていた学校の同僚たちとの歓送迎会だった。4月から5月にかけての学校は新入生が入ってきたり新しい学年が始まったりと何かと慌ただしい。一連の学校行事が一段落してこの辺に歓送迎会があるというのが妥当という所だ。約2ヶ月ぶりの再会となる。若い先生がほとんどということもあって、話を聞いていると学校そのものがだいぶ遠くになったという思いを強くした。先生としての在り方は時代とともに変わっていく、そんなふうにも感じられた。

土曜日はテニス仲間が所属するバンドのライブを聴きに行ってきた。彼は国語の先生でこの3月に退職した。仕事はすっぱりと辞めて、念願だった小説を書くのに集中している。在職中も小説の塾に通っていたそうだ。先日新作を渡されて「読んだらAmazonにコメントを書いてくれ」と言われているのだけど。担当は国語だが英語もペラペラ。テニスはもちろんサイクリングに釣りにと思いのままに生きているという感じだ。ライブには50歳前後になるかという彼の教え子も何人か来ていた。ビートルズベンチャーズの曲を中心に2時間余り。彼はギターの他にボーカルも担当して、その生き生きとしているさまはごいさんも勝てないな。

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翌日の日曜日は久しぶりにラン仲間との練習会、これまた久しぶりの皇居を走る。参加者はいつものS田さんとY村さん、それにY村さんの元同僚だったX氏が加わった。お年はごいさんと同じくらいと聞いた。ランステはいつものように神保町にあるサクラホテルを利用する。このホテルは海外の旅行客が多く、入口にある喫茶コーナーは外国人で一杯だった。

1周目はS田さんを先頭にみんなでジョグ。2周目からは各自思い思いに走る。とりあえず今日は3周が目安だ。2、3周目はスピードを上げるが、日曜日で観光客も多いからそれほど無茶な走りもできない。さて走り終えたところで、お待ちかねの反省会となる。いつものお蕎麦屋さんがお休みで急きょその近くの中華料理のお店に入る。みんな明日は仕事があるというので2時間ほどでお開きとなる。

このメンバーとはもう何十回と飲んでいるわけだから気心は十分知れている。いわゆる気の置けない仲間たちだ。何を喋ってもまたいつものことで済んでしまう。発展性がないと言えばそれまでだが、こういう仲間の存在はやはり大切だと思う。そんなにたくさんは必要ないだろうけどね。何でも聞いてくれる仲間……いいね。

久し振りに複数の人といっぺんに会った週末は少しばかり疲れたようだ。まあ心地よい疲れといったところだ。これでまたしばらくは頑張れる。

 

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黒部名水マラソン ~ 当日編 ~

当日の朝は7時少し過ぎに会場に到着。少しして着替えを終えて貴重品を預けに行こうとした時に、ちょっとした奇跡が起きた。なんと向こうから歩いて来るエムゾーさんと再会したのだ。写真も撮ったし、幸先の良いスタートとなった。

明け方には雨が降っていて寒々としていたのが会場に到着する頃には雨は止みさらにスタート時間が近づくにつれ太陽の輝きが増し日差しがぐんと強まってきた。9時に号砲が鳴って、Qちゃんのさわやかな笑顔で送り出される。今回はCブロックでのスタート。

練習をセーブしてきたこともあって幾分足が軽く感じられる。それでも頭の中にはこのところの失敗レースの様子が悪夢のようにちらついている。最初の1キロは5分8秒と久しぶりの速いペースで入る。10キロ辺りまでは平坦なコースで走り易いこともあり、前向きに積極的に仕かけていく。ということで最初の10キロは49分06秒となかなかのタイムだ。

さあここから始まる約13キロの上り坂。この大会の勝負所となる。緩い坂だがこれだけ続くと足への負担はかなり大きい。精神的なダメージもある。19キロ地点を過ぎた辺りでサブ3.5のぺーサー率いる集団に追いつかれる。今の自分にはついていける自信がない。ここは無理せず素直に見送る。それでも20キロまでの10キロを50分09秒で通過した。上り坂の続くこの区間なら上出来だろう。

23.5キロの折り返し点を回ったところで風が向かい風となった。ところがこの風が実に爽やかで心地よい。おまけにここからは下り坂だ。不思議なことに今までの疲れがどこかに行ってしまったかのような感じを覚える。エイドに寄ったロスはあるが実際に走っている速さはキロ4分50秒ぐらいに上がった。途中から河川敷を走るのだが、今日はQちゃんが言っていた川に流されている小石になったような気持ちで走れている。

そしてそのQちゃんが突然に出現。今回も両手ハイタッチでパワー倍増だ。およそ10キロに及ぶ河川敷もそれほど長くは感じなかった。30キロまでの10キロも50分29秒と安定した走りができている。37キロ地点の待望のエイドではお目当てのソフトクリームをいただく。う~ん、やっぱり美味しい。今回はちょっとタイムを気にして2個目は断念。

そして残り4キロ地点にさしかかる。ここで、先日の奥州マラソンで、熱中症一歩手前まで行っていた自分が、最後の4キロを立ち止まらずに走り切ったことを思い出す。ここまで来れば走り切れるという絶対の自信があった。逆にこの4キロは本当に楽しかった。次々と前を走るランナーを抜いていく。残り2キロは生地の街並みを走るのだが応援してくれているほとんどの人に声をかける余裕もあった。この10キロは51分42秒で通過した。1分はアイスをを食べていた時間だね。こんなに楽しい気持ちでフィニッシュを迎えるのは実に久しぶりだ。両側の応援してくれる人たちに手を振って応えながら笑顔でフィニッシュ。タイムは3時間32分32秒。

着替えを終えて、エムゾーさんとは再会を期してお別れする。エムゾーさんの初フルも見事な走りができて何よりだった。これからの成長が楽しみです。

最後に、応援していただいた皆さま、ボランティアの皆さま、役員の皆さま、お世話になりました、そしてありがとうございました。本当に素晴らしい大会でした。

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黒部名水マラソン ~ 前日のこと ~

4日の日曜日に黒部名水マラソンを走ってきた。2年も続けてなぜ遠い富山まで足を運んだのか。まずは昨年走った時の印象がとても良かったことだ。立山連峰を眺めたり黒部川に沿って走ったりそして最後は海岸を走るという変化に富んだコースがとても楽しい。それとストレスのない大会運営の素晴らしさや応援風景のアットホームな感じにもう一度走ってみたいという気持ちにさせられてしまう。そして昨年のフィニッシュまで後200mという地点で両足が攣って動けなくなり最後まで気持ちよく走り切れなかったというやり残し感だ。

それに加えてもう一つ、この大会で初めてフルを走るというブログ仲間のエムゾーさんのことがあったと思う。どうしてエムゾーさんと繋がったのかその馴れ初めは思い出せないのだが、ただ彼の記事を読んで富山が身近に感じられるようになったのは確かだ。一昨年の金沢マラソンを走ろうと思ったのも多分にその影響があったと思う。その時も富山に立ち寄っている。昨年の黒部名水マラソンで改めて富山を訪れてみようと思ったのも、やはり心のどこかに何か惹きつけられるものを感じていたのだと思う。

それでももう一度走りに行くというのには多少の迷いもあった。走りにくい時期の上に高い交通費や宿泊費もかかる。それに今年はその少し前に行われる奥州きらめきマラソンに参加を決めていた。そんな時にこの大会でエムゾーさんが初フルに挑戦するということを知った。もしかしたらこの機会にお会いできるかもしれない、そういう期待感が迷っていた思いを一気に吹き飛ばしてしまったのだった。

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念願が叶い、前日のQちゃんのトークショーで会うことになった。目印は蛍光色のウィンドブレーカーにジーンズという出で立ちで奥様と一緒にいるとのこと。会場には何百人という人がいたがカップルはそれほどでなく見つけ出すのは割りと簡単だった。まもなくトークショーが始まるというので声かけは終わってから。こういうのは幾つになっても緊張する。

Qちゃんも話が毎年上手くなっているように思う。それにQちゃんらしさがその話しぶりや笑顔に自然に現れている感じなのがいい。自分はどうだろうなんて考えたら、最近はどうも笑顔を作るのが下手になったみたいだ。写真を撮る時に無理に笑顔を作ろうとすると顔が引きつってしまう。働いている時はけっこういい笑顔を作れていたんだけど。

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さて、トークショーが終わっていよいよエムゾーさんとのご対面と相成る。お目当てのカップル目指して近づいていく。99%間違いないと思うけど違っていたらなんと言い訳しようなんてことも考えながら恐る恐る声をかけてみた。大正解だった。笑蔵(エムゾー)さんの名前の通りの温かな笑顔がそれまでの緊張を解きほぐしてくれる。それだけでもうとても身近に感じてしまった。早速に奥様にも入ってもらってシューズ円陣の記念撮影。

満足しきって帰りのシャトルバスに乗ったところで、集合写真を撮り忘れたことや明日会うのも決めなかったことに気づく。これで明日は会えないかもしれないと思ったら、少しばかり悲しくなってきたのだった。

 

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「老後」と「余生」

ここのところ少しばかり考えていた言葉がある。それは「老後」と「余生」という2つの言葉だ。「老後はどんなふうに過ごしているか」、「余生をどのように楽しもうか」などと当たり前のように使っている。確かに、自分が小さい頃に見てきたお爺ちゃんやお婆ちゃんはそんなイメージだったように思う。だから自分もいずれは年を取りその時になったらどのように過ごすかなんてことを当たり前のように考えてきた。

でもここにきてちょっとした疑問が湧いたのだ。まず「老後」や「余生」っていつ頃をさすのかということ。それと「老後」と「余生」の意味合いだ。老いた後と書いて何を表しているのか。「余生」っていうのはどうだろう。余った人生って何なんだろう。ガンや不治の病で余命を宣告される人がいるが、その人たちの残された時間のことを余生とは言わない。ふだんから気にも留めずに使っている言葉なのに、ここにきてよくよく考えてみるとその意味合いが実に曖昧に思えてきたのだ。

定年で退職して働かなくなったら老後、ずっとそんなふうに思ってきた。でも自分が64歳となり実際に年を取ってみるとどうにも老後と呼ばれるには抵抗を感じてしまうのだ。年を前後して自分の周りにたくさんの仲間がいる。彼らはテニスをやりフルマラソンも走る。いやいや70歳、75歳になってもみんな元気だし、老後という感じじゃない。それに彼らはまだまだ社会に貢献できると考えている。

運動ばかりじゃない。絵を描いたり楽器を演奏したりそれと読書に夢中になっている人もいる。そういう生き生きと何かに取り組んでいる人に老後という言葉はどうにもふさわしくないように思う。余生という言葉も同様だ。余りの人生なんてどう考えても変だ。人は何かをしている時、何かしら目的を持っているのではないか。それは老いた後でも、余った人生を生きているのでもない。まさに人生真っ只中を生きていると思うのだが。

そんなこと考えていたら、自分はきっと老後も余生もないままに人生を終わるんじゃないかと思えてきた。あえて言うなら、病室のベッドから出ることもできなくなっていつ死ぬか分からないといったあたりが老後なのかしらね。でもそれじゃ何もできない。自分の人生は最後までしっかり生き抜いて終わりたい。だから自分には「老後」とか「余生」という言葉は不要なのだと。

ただ母親を見ていて、これが老後の生活かと思う時がある。わずかな年金での暮らしは質素だけど、日々の散歩を楽しみ、ご近所さんとお茶を飲みながらお喋りに興ずる。見たいテレビを観て食べたい分だけのご飯を作って食べ、風呂に入り床に就く。たまに見る子供の元気な様子に安心している。何か欲しいものがあるでもない。自分に見合うだけの生き方に十分に満足している。死ぬのは怖いようだけど半ば覚悟はしている。いつお迎えが来ても悔いの残らない状態。

母のような境地で過ごせたなら老後や余生も案外いいものかもしれない……けど。

 

明日は黒部名水マラソンを走ってきます。f:id:goisan:20170603003042j:plain

 

第13回 全日本マラソンランキング

先日、全日本マラソンランキングというものが発表された。これは全国各地で行われた大会のデータをまとめて1歳刻みの年齢別に順位を発表するというものだ。大会のコースの難易に違いはあるが、同じ年齢の方と比べられるというので一つの参考にはなると思っている。すでに多くのランナーのブログでは記事にされていて、ずいぶんと出遅れてしまったが、自分にとっても記念になることなので書き留めておこうと思う。

昨年も書いたが、まずはごいさんの進化ぶりだ。最初は5年前になる。う~ん、まだ5年なのか、もう5年なのか。その年はフルマラソンデビューの年で走ったのは「湘南国際マラソン」の一本のみでタイムは4時間08分14秒。ランキングの順位は2,348人中676位だった。次の年は初めて4時間を切ってサブ4ランナーの仲間入りをした「つくばマラソン」の記録で3時間53分19秒。順位は2,278人中362位。そしてその次の年は「館山若潮マラソン」の3時間51分08秒。順位は2,218人中288位。そして昨年もまた「館山若潮マラソン」がベストの記録となり3時間37分26秒。順位は2,268人中117位。惜しくもベスト100を逃がす。

そして今年だが、なんとこれまた「館山若潮マラソン」で出した記録がベストの記録となった。タイムは3時間24分36秒。どうしてこういうタイムが出せたのか自分でも信じられないくらいだ。大阪やつくばで3時間30分を切ったから、今年のベスト100入りは間違いないと思っていたけど、ここまでのタイムを出せるとは思わなかった。しかもアップダウンの比較的多い館山ではね。もちろん順位は2,145人中でのベスト100入り。いやそれどころではなくなんと50位以内に入っていた。

若い年代の方たちと母体の数は違うけれどそれはそれでよしとしよう。とは言っても、その後の体たらくぶりを見ているとこれから先ベスト100をキープしていくのは難しそうだ。それにあまりタイムを意識するとマラソンそのものを楽しめなくなりそうだし。とまあ今回のランキングがあまりに良すぎたので逆に少しばかり弱気になっている。

こんなことを書いていてもどうせまた頑張っちゃうんだろうって思っている人はよほどにごいさんを理解していると思う。そうなんだ。そこがごいさんの弱点でもある。負けず嫌いの性格だから、そう簡単には妥協したくない。それでもいつかは沿道の人たちと触れ合いながら楽しんで走りたい。そんなレースを夢見ている。

 

記念すべき初フルのランキング証 。ここからすべては始まった……のかなあ。

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女川町、石巻を訪ねて

マラソンを終えた日は仙台に宿を取った。翌朝の8時にレンタカーを借りる。女川町と石巻を回ろうという計画なのだ。仙台から約70キロ離れた女川駅には2時間ほどで到着。まだ午前中の早い時間ということもあって人影は少ない。その代りに土ぼこりを上げながら何台もの大型トラックが頻繁に行き来している。土地の整地や造成真っ盛りでその先の段階に進むにはまだまだ時間がかかるように見える。

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さすがに津波を思わせるようなものはすでに何も残っていない。いや、昔の建物も一切合切何も残っていない。その代わりに女川駅の入浴施設であったり「シーパルピア女川」という商業施設であったりと新しく建てられた立派な建物だけがそこにはあった。一方高台の方には何軒かの真新しい家が建てられているのと建築中の家も見かけられた。こうして少しずつ昔のような街に戻っていくのか。今の段階ではなかなか想像もつかないことだ。

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来た道路を少し戻ったところに「きぼうのかね商店街」というのがある。震災後にできた仮設商店街で、当時の町民の日常を支えたという。テレビでも放映され、始めのうちは芸能人や観光客も多く来て賑わったと言うが、今はその面影もない。喫茶店のママさんの話だと9月にこの商店街は閉鎖されるという。こういうのからも次第に震災が遠くなっていくのが感じられるのだった。

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道路のすぐ傍らに「いのちの石碑」というのが建てられていた。この石碑は、当時小学6年生だった女川町の子供たちが中心となり、この悲劇を1000年後まで伝えようという思いで建てたものだそうだ。すでにいくつか建てられているが、最終的には彼らの成人式の日までに21基の石碑を建てる計画だという。

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この後、女川湾が一望できるという大六天山の駐車場に行ってみた。そこには松島を思わせるような美しい光景が広がっていた。あれほどの大きな津波が起きたなんて想像できないほどに海は実に静かで穏やかだ。そしてその海にはまだ見つかっていない多くの方々が眠られている。

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再び女川の駅前に戻って昼食を取る。お目当ては何度もテレビで目にした女川丼。平日だというのに注文して30分ほど待たされた。休日はどれくらい待たされるのかしらね。そうして出てきたのが下の写真だ。これで1,300円はリーズナブル。

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帰り道、石巻日和山公園に寄る。石巻の街並みの復興の様子が一目瞭然だという。手前の柵のところには津波の来る前の街のパネルが貼られていて、津波の前後での街の様子が比較できるようになっていた。多くの家が流され今は更地になっているのが分かる。新しい建物が多く建てられ復興は進んでいるように見えるが、昔の状態までになるにはやはり相当の時間がかかるように思えるのだった。

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ようやく念願が叶った女川町、石巻への旅だったが、復興がなかなか進んでいないのを目の当たりにしてどうにもやりきれない思いがした。この震災を忘れてはいけない。また何年か後に来てみよう。改めてそう思うのだった。

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