長崎の友

翌日は福江島をぐるりと一周する予定でレンタカーを借りる。前日の雨中のマラソン大会とは違って良く晴れた絶好の観光日和となった。最初に向かったのは大瀬崎灯台。長崎出身の友だちや五島を訪れたことのある仲間が口をそろえて、「ここは絶対に行くべきだ」と言う。駐車場に車を止め、展望台に上がると東シナ海の海が目に飛び込んできた。その真っ青な海に突き出るようにして真っ白な灯台が立っている。f:id:goisan:20180226102520j:plain

次に荒川温泉に寄って足湯に浸かってから高浜海水浴場に向かう。これが見たこともないくらいに美しい光景だ。写真の通りの見事なエメラルドグリーンの海。夏はバナナボートやマリンジェットも登場するというからさぞや賑わうことだろう。それから前日に走ったマラソンコースを辿りながら遣唐使ふるさと館に向かう。一番苦しい最後の10キロのところだ。前日だったはずなのにすでに懐かしく感じる。エイドでおばさんたちと話しをしながらかんころ餅を食べたのを思い出す。f:id:goisan:20180226130637j:plain

最後に向かったのは堂崎教会。井持浦教会、貝津教会、水ノ浦教会と見てきて4つ目になる。後で友達に聞いて知ったのだが、五島列島には50の教会があるという。今回は4つしか見てないので大それたことは言えないのだが、教会の静寂の中に身を置いてみると、信徒ではない自分でもそれまでの歴史のことやそこに住む人たちの思いが伝わってくるような気がしたのだった。f:id:goisan:20180226152444j:plain

こうして約6時間のドライブを終えて、16時30分の高速船に乗り福江島を後にする。長崎港に18時10分に到着。すぐにいちごさんご夫妻との待ち合わせ場所、長崎駅に向かう。前回の記事に書いたけれど、いちごさんご夫妻との最初の対面は本当に意外なものだった。トップのランナーが走り過ぎるのからずっと見ていたというから、それからごいさんが来るまでは30分ぐらいはあっただろう。雨の降る寒い中をずっと待っていてくれたのに、ろくに声をかけることもハイタッチすることもできなかった。f:id:goisan:20180226185231j:plain

でもこのサプライズ、後でよく考えてみたら、いちごさんたちなら十分にあり得ることだと思った。ウサギマンさんのことがあったから、少し考えたならば予測できたのかもしれない。それでも高速船を使ってその日の朝にやってきてそして帰るという。例え思ったにしてもそうそうできるものではない。それをやってしまうところにお二人の気持ちが現れているように思えた。

この横断幕もお二人がどのような話をしながら作ったのだろうと考えただけで心が温かくなってくる。出来栄えからしてかなりの時間がかかったのではないか。それに道具を買いそろえる時間もあったはず。そこに自分はいなかったけどその時のお二人の心の中には確かにごいさんが存在していた。そう思うだけで何だか嬉しくなるのだ。f:id:goisan:20180212142912j:plain

お二人とはラソンの後に福江港の待合所で再会していて、その時はもう既知の友という感じで緊張感や違和感を抱くこともなく普通に会話ができた。そして長崎で再びの再会となった。いちごさんは仕事の帰りということで、この日はネクタイにスーツ姿がよく似合っていた。あっという間の3時間だったけど、たくさんの話が聞けてとても有意義だった。これでブログを読むのがまた楽しみとなりました。

 

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ごいさん、五島列島を走る

長崎出身の友人が盛んに五島に行くことを勧めるのと、長崎に住むブログ友のいちご一笑さんにお会いするのを目的に、先月25日の日曜日に五島つばきマラソンを走ってきた。

前日は福江港の近くに宿をとる。天気も良く当日が楽しみだったのだが、朝起きてみると雨が降っていてあいにくの天気。スタート直前にはだいぶ雨足も強くなってきた。大会の種目はフルとハーフ、それにフルのリレーとあって総勢で700人ほどの参加者だという。フルは300人といったところだ。当然スタートロスもなく、混戦もない。スタートの号砲が鳴るとみんな一斉に勢いよく飛び出していく。自分は早い方じゃないかと思っていたけどいきなり置いてけぼりをくった感じだ。

その後もどんどん抜かされて後方に追いやられていく。最初の1キロは5分16秒だからそれほど遅いわけではない。ようやく5キロを過ぎた辺りでエンジンがかかり始め、少しずつ前を捉えられるようになる。そうして迎えた10キロ過ぎの最初の急坂。まだ足に疲れがないせいか思ったほどに苦しまなかったが、だいぶ足への負担を感じた。下りもまたかなりの急坂で膝や首への負担が大きい。

何回かのアップダウンを終えてスタート地点の傍まで戻ってくると中間地点だ。実はその直前に大きなサプライズがあった。「まだ半分」と疲れ切った表情で前方を見た時に「ごいさん頑張れ」という横断幕が目に飛び込んできたのだ。同じような名前の人もいるものだと妙に感心しながら通り過ぎようとした時に小さく書かれた「いちご一笑」という文字に気がついた。「あっ!」と叫ぶのと同時に「ごいさん」という掛け声が返ってきた。そう、そのお二人はいちご一笑さんご夫妻だった。長崎にいるはずのお二人がなぜここに?あまりの衝撃で止まることも戻ることも忘れ、ただ手を振るだけで通り過ぎてしまった。でも確かにお二人からはたくさんの元気を頂いた。しばらくはその余韻に浸りながら走っていた。

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海岸沿いに出てからは小刻みにアップダウンが繰り返され、これがボディブローを受けているような感じなのか。向かい風も激しくてだんだん足が上がらなくなる。35キロを過ぎた辺りから後続のランナーが自分をどんどん抜かしていく。どうみても自分と同じか上ぐらいの人が懸命に走っている。最後のエイドを出るとあと2キロ。さすがにここからは休めない。

いつものように最後だけは格好をつけてフィニッシュ。タイムは3時間45分37秒。一息入れて着替え始めたところで放送が入った。なんと60歳以上の部で3位だという。大勢の前で表彰され、副賞まで頂いてしまった。最後に何人にも抜かされたのだが、彼らのほとんどはハーフのランナーだったことをこの時知った。

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終わってからは豪華バイキング料理でのおもてなし。お刺身、鯖寿司、唐揚げ、五島うどんにカレーライスなどなど。参加賞のTシャツ、五島うどんに完走タオルと、これで5,000円の参加料では大赤字じゃないかと思った。規模も大きくなく沿道の人も多いわけではないが、本当に応援は温かい。エイドの皆さんも雨の中をみんな一生懸命だった。この町を盛り上げたいという気持ちが十分に伝わってきた。

五島の皆さん、応援に、ボランティアに、本当にありがとう。お世話になりました。

 

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米寿

20日は母の88歳の誕生日だった。いつものように丸いケーキを買う。それに今回は特別に8の数字のろうそくを2つ付けた。少し耳が遠くなったのと味が分からなくなったと嘆く以外はとりあえず元気に過ごしている。朝はご飯、お昼は自分で作った餡子を挟んだサンドイッチ。夜はご飯以外にもお餅だったりうどんだったりとバリエーションを変えては楽しんでいるようだ。お猪口に一杯程度の晩酌も欠かさない。

月、水、金の午前中はゲートボールに出かける。他の日はゲートボールの代わりに5,000歩のウォーキングを日課としている、午後はもっぱらテレビ観戦だ。相撲、プロレス、バスケット、卓球、バドミントン、バレーボールなどほとんどがスポーツ番組だ。観ているうちにルールを覚えたようで得意顔であれこれと解説してくれる。それと選手の名前もけっこう覚えていて、お目当ての選手もいるらしい。

88歳は母にとっても節目の年だったのだろうか。ケーキにろうそくを立て吹き消した時に少し涙がこぼれたように見えた。何か思うことがあったのか。そう言えば、母の涙っていつ見ただろう。小さい頃から父との喧嘩はしょっちゅうだったけれど母が泣いているのを見た記憶がない。だから今日の母の涙を見るのは自分としては初めての体験だった。不思議な感情だった。そんな自分に気づいた母は、照れ臭そうに「さあ食べよう」と言って熱いお茶を入れてくれた。

自分が小さい時、クリスマスの日だけこの丸いケーキが食べられた。自分と妹が旨そうに食べているのをニコニコして見ている母の顔が思い浮かぶ。最近は甘いのを控え目にしているのだけど、今日は特別だ。四分の一ぐらいに切ってくれたのを一気に頬張る。それを見ていた母の表情はやっぱり嬉しそうだった。そうして母も美味しそうに食べ始めた。

母は自分に会うたびに「幸せだ、幸せだ」を繰り返す。こちらが恥ずかしくなるくらいだが、本人がそれだけ言うならそうなんだろうと思うことにしている。それで自分も最近は「ありがとう」を連発することにした。小さい頃は、くつ下や服やズボンのつぎ当てを見ては新しいのを買ってくれと駄々をこねたり、焼き魚や煮物のおかずを見てはハンバーグやスパゲティが食べたいと困らせたりした。中学や高校の時は母の言うことにはことごとく逆らっていた。それでも時には新しい服を買ってくれたり密かにハンバーグやスパゲティ作りに挑戦したりしていた。お弁当も高校を卒業するまで毎日作り続けてくれた。

生徒はもちろんたいていの人には素直に「ありがとう」と言えるのに母にだけはほとんど言ったことがない。若い頃は親が子供を育てるのは当たり前だぐらいに考えていて、「ありがとう」という言葉を口にすることはなかった。それに思っていても口に出すのが恥ずかしかった。でもそれじゃだめだということに最近になってようやく気が付いて、そして母の元気なうちに今まで言えなくて貯まってしまった分の「ありがとう」をきちんと返さなければいけないと思ったのだ。

だから返し終わるまで元気でいてよ。ハッピーバースデイ、母さん!

 

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やっぱり見ちゃう、オリンピック

羽生選手の復活劇は実に見ごたえのあるものだった。最初に行われたショートプログラムでは、想像を超える完ぺきな演技を披露。それに気おされたか金メダル最有力候補のネーサン・チェン選手はミスを続けて自滅。フリーでは最高得点を出しながらもメダルには届かなかった。これで羽生選手のメダル獲得はほぼ間違いないと思った。もちろんドラマ的には金メダル以外にはありえない。彼自身もショートの演技を終えてその思いを強くしたのではないだろうか。

そしてフリーでの演技。ちょっとしたミスはあったものの高得点をマークして予定通りに1位に立つ。続くスペインのハビエル・フェルナンデス選手は逆転への意識からか4回転ジャンプでの大きなミスもあって羽生選手の得点には届かない。そして最終滑走の宇野選手。彼にも羽生選手を上回る可能性はあったと思うのだが最初の4回転で転倒。たいがいこういった後は気落ちしてしまうのではないかと思うのだけどそれからが宇野選手の真骨頂だった。残りの演技をパーフェクトにこなし高得点を挙げる。羽生選手には届かなかったがそれまで2位のフェルナンデス選手を上回って堂々の銀メダルを獲得した。

こうして羽生選手の見事なまでの復活劇は完成した。誰もが期待しながらもそこまでとはと思えるほどの見事な演技は周りの選手をも圧倒した。細い体に優しい顔立ちとは全く違う強く逞しい精神力が輝いていた。今回はミスに泣いたチェン選手や宇野選手とのライバル対決は今後ますます激しさを増すだろうけれど当分彼の時代は続きそうだ。

そして昨日は小平選手がスピードスケート500mで見事に金メダルを獲得した。彼女の長年にわたる絶え間ない努力の結果だ。これまた強靭な精神力が感じられた。世界記録を持って同じように期待された1,500mで銀メダルに甘んじた時のインタビューでは、平静さを装ってはいるもののその言葉の端々に悔しさがにじんでいた。これで少しは自分を納得させられるのではないかな。

それからジャンプの沙羅ちゃんだ。銅メダルが決まった時は思わず両手を合わせてしまった。飛ぶ瞬間まで彼女の顔からは表情が消え悲壮感すら漂っていた。ソチから4年、この平昌では金メダルをと思っていたのが強力なライバルが出現した。正直メダル獲得も厳しい状態だったと思う。まずはメダルを獲得したことで気持ちが楽になったのではないか。インタビューを聞いていると次の北京にも挑戦しそうだ。緊張が和らいで、今回以上の活躍が期待できそうな気がするのだけど。

さて平昌の冬季オリンピックが始まって10日が過ぎた。テレビは朝から晩までオリンピックの報道だ。何度見ても結果は変わらないのについつい見てしまう。後半に入ってもまだまだ楽しみな競技が続くから、もうしばらくはテレビとにらめっこの状態が続きそうだ。これもごいさんのどうしようもない性分の一つ。でもちゃんと勉強はしているよ。その辺のところは少しは成長している。

 

20年以上も前の写真。この頃は毎年冬と春の2回、スキーに行っていた。f:id:goisan:20180219184340j:plain

 

ポジティブに考えること

今年最初の記事にも書いたけど今は英語漬けの毎日を過ごしている。確かに少しずつ進歩しているように思うのだけど実感はあまりない。時間があれば少しばかり走りに行っては気を紛らす。テニス教室に週に一度通うようになってもうすぐ一年になる。ここにきて「今度一緒にやりましょう」なんて声もかかるようになった。

こう書くと、働きもせずいかにも好きなことだけをやって楽しく過ごしている感じだ。まあそれはだいたい正しいのだけど、それでも自分では不満に思う時がある。ずっと以前の英語もマラソンもしていなかった頃は毎週のように横浜の街を歩き回っていた。歩きながらいろんなことを考えるのが好きだったし楽しかった。今のように時間に追われていなくて実にのんびりしたものだった。

その頃に比べれば今は充実していると思うし、今やっていることはこれからの自分をきっと豊かにしてくれるはずだとも思っている。そう思うのだけど、でも本当は映画も見たいし本も読みたい。ビリヤードやボウリングもやりに行きたい。ではそれをみんないっぺんにやれるのかと言えばそれは無理だと思う。ならば優先順位をつけるしかないということになる。何を一番にやりたい?その判断の基準は?

そこでごいさんは考えてみた。たった今夢中になっていることこそが一番にやるべきことなんじゃないかって。当たり前と言えば当たり前だけど。時間が経って他のものに夢中になるかもしれない。そしたらそれが新しく一番になる。どうしてもこれを一番にやらなきゃいけないという一番は本当の一番ではないと思う。夢中になってやれるものじゃなきゃ本当の一番じゃない。だから来年は何を一番にやろうなんて決めなくたっていい。もちろんどうしてもやらなきゃいけないことだってあるけど、でもそれは一番でなくたっていい。

英語の勉強は楽しいのだけどだいぶ時間の制約を受けて自分の自由な時間が減ってしまった。そんな思いを整理しようと今日の記事を書いてみたのだけど、ここまでいろいろ考えているうちに、今の自分はやっぱり英語に一番夢中になっていることに気がついた。だから改めて英語の勉強をもう少し頑張ってみようと思うことにした。でも来年もとは考えないことにする。来年になったら他に夢中になれるものが見つかるんじゃないかと考えた方が楽しそうだから。

と、なんだかどうでもいいことをごちゃごちゃ書いてしまった。それでも自分なりには気持ちの整理がついた感じ。そして思ったんだ、いや確認したと言うべきだね。それは、「人生はやっぱり楽しく生きたい」ということ。そのためには、やらされている、やらなきゃいけないんじゃなくて、やりたいからやるという感覚が大切だっていうことをね。

最近不調気味のごいさんの独り言、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

今日は大黒ふ頭まで走ってきました。f:id:goisan:20180212131345j:plain

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神奈川マラソン 2018

日曜日に神奈川マラソンのハーフに参戦してきた。先週に館山のフルを走ったばかりで無謀だと思うのだが、この神奈川マラソンとは15年以上のつき合いになる。まだごいさんがマラソンなんて走ろうと思わない頃からこの大会と来月の三浦マラソンだけは走っていて、その時に誘ってくれたK島さんが今でも一緒に走れるのを楽しみにしているのだ。その期待は裏切れない。

この神奈川マラソンは露店など一切なくお祭り気分の全くないただただ走るためだけの大会だ。コースも平坦で自己記録を狙いやすく、参加者は7,000人に及ぶ。それになんと言っても箱根駅伝に出場するレベルの大学生がたくさん走るのが特徴だ。今年も青山学院、そして東洋大学中央大学などなど、箱根駅伝の再現を見ているかのようだ。

風もなく穏やかで実にいい天気だった。少し前の自信のない頃だったら暑いのを気にしたかもしれない。走り始めた頃はハーフでも何度も足が攣った。終わった後にビールも飲めなかった。それが今では精神的にかなりの余裕がある。フルとは違って調子が良くても悪くてもあっという間に終わってしまう。そんな思いで緊張感もあまりない。今回の自分はCブロック。S田さんはDブロックでのスタートだ。K島さんはまだ体調が良くないということで応援のみ。

11時半、号砲が鳴ってようやくスタート。最初の1キロは混雑もあって5分02秒かかったが、それからは4分台を刻む。今日の目標はずばり100分以内。今の自分にはちょっと厳しいのだが去年のこの大会で94分の記録を出している。キロ4分45秒で行けば何とかなる計算だ。とにかくハーフだし苦しくなっても頑張り切れるだろう。

10キロ地点を47分23秒で通過したが、すでにかなり苦しい状態。少し油断をすると4分50秒台に落ちてしまう。とにかくハーフなのだからと自分に発破をかける。最後の2キロで時計を確認してラストスパートに入る。目標達成の可能性は十分にある。今までの19キロを無駄にしたくない。みんなもスピードを上げるから簡単には前に追い付けないが必死に食らいつく。そしてフィニッシュ。タイムは1時間39分45秒。ギリギリだけど目標達成。

去年はこのタイムより5分も速く走ったなんて信じられない。それでも今日のタイムには十分に満足。S田さんは1時間50分切りを狙っていたらしいのだがわずかに切れなかった。相当に悔しがっていたが、もちろん自己記録は更新したからすぐに口も軽くなった。いつものように横浜に出て軽く飲みながら食事を取る。今日は自分とS田さんとK島さんの3人だ。

今日のお酒は久しぶりに美味しかった。走った後に楽しかったと思えるのも久しぶりだ。S田さんの笑い顔を見て気が楽になったせいかもしれない。

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5年目に向けて

2月になってごいさんのブログも5年目に入った。改めて最初に書いた記事を読み返してみたのだが、とても新鮮で懐かしい。ブログを始める際の挨拶を書いただけだが、これから続けていくのだという気概が感じられる。本当は年明けすぐにと思っていたのだがなかなか思い切ることができなかった。毎年のように日記を書こうとしては中途で終わっていた。でもそれは自分だけで完結するからいいのだけれど、ブログはみんなの目もある。そんなところで中途で止めるのはいかにも自分の欠点をさらけ出すように思えたのだ。

結局1か月ほど悩んで2月から始めることにした。「書きたい時に好きなだけ書く」と宣言することで一応の逃げ道らしきものも用意した。毎日のアクセス数はずっと1桁だったけれど、何も知らない自分はそれでもう十分に満足していた。何人かでも誰かが読んでくれたことは確かでそう思うだけで一人前のライター気分だった。

最初の半年はスターも付かず読者も増えなかった。それでも誰かが読んでくれているというのが楽しくてけっこう夢中になって記事を書いた。時間があればいろんなブログを覗きに行った。たくさんの読者を抱えている方たちはどんな記事を書くのだろうなんてとても興味があった。面白いブログがあれば積極的に読者登録をしてスターも付けるようにした。

そんなことをやっているうちに自分の記事にもスターが付き読者登録をしてくれる人が増えていった。そうなるとお調子者のごいさんはますます図に乗って、記事を書くことに集中した。毎日のように記事の話題を探すのも楽しかった。驕っちゃいけないと思いながらも気分は舞い上がる一方。書いていることに嘘はないのだが、少しばかり飾り過ぎたりした時もあったと思う。

ブログを書き始めて4年が過ぎ、記事も500を超え、たくさんの思い出を書き残すことができた。たくさんのブログ仲間との別れもあったけど、さらにたくさんの人と知り合いになれた。自分よりお年を召されている方から若い人たちまで年齢を超えて知り合いになれるなんてそうそうあるものではない。その方たちの実際のところはほとんど知らないのだが、ブログを通してのバーチャルなお付き合いがほどよい距離感でちょうどいいのかもしれない。

さてそんな読者の皆さんを思い浮かべながら、今年もまた自分の思いや出来事を綴っていこうと思う。65歳にもなってまだ夢を追いかけている。きっと死ぬまで分別のある老人にはなれそうもない。そんな子供のような感覚のごいさんだから大したことも書けないけれど、時々でも立ち寄っていただけたら嬉しいです。皆さんの心のどこかに「ごいさん」の4文字が引っかかったら、まっこと至福の喜びぜよ。

それではまた一年よろしくお付き合いください。

 

先日の皆既月食(Super blue blood moon) ぶれてしまってお見苦しいですが。f:id:goisan:20180131221123j:plain