小田原テニスガーデン

小田原テニスガーデンは小田原の蛍田というところにある。ここは3月に行われた二宮尊徳マラソンの会場となった小田原アリーナの近くで、その横の道路はマラソンのコースにもなっていた。今日はここで開かれているソフトテニス関東大会団体戦の県予選会に、勤務している学校の生徒が出場するというのでその応援にやってきた。試合は残念ながら敗戦となったがかなりの接戦で見応えもあり応援のし甲斐があった。1年生の子たちが悔し涙をにじませていた。みんなはまだまだこれから。来月のインターハイ予選でまた頑張ろうね。

もう7年前ぐらい前になるだろうか、ごいさんは1年間だけソフトテニス部の顧問をやった。教員になってからサッカー部一筋だったから勝手がまったく分からなかった。それでも4月5月の大会でかなり強い相手に対してそこそこに戦えているのを見て、もっと強くなれるのではないかと直感した。何も知らず指導もできないごいさんがまず思いついたのは、強い相手ともっと打ち合う機会を作ってやることだった。何も知らないというのは恐ろしいもので、サッカー関係だったら考えもしなかっただろう。大会結果を見ながら各地区の強いチームに次々と練習試合を申し込んでいったのだ。当時の神奈川県では一番だった伊勢原高校、そして法政二高、山北高校、茅ヶ崎北稜高校などなど。思った通り選手は次第にそれらの選手と対等に戦えるようになっていった。そしてモチベーションも高まっていった。

ソフトテニスの練習試合というのは半端じゃない。朝の9時前ぐらいから始まり、夏などは夜の7時近くまでやっている。知識の乏しいごいさんは概ね一日中ぼーっと試合を眺め続けているだけ。しかし、こんな素人の顧問に対してどの学校の先生方も本当に親切で優しかった。大会の会場に行っても話に加えてもらえるようになった。うちの選手たちにも丁寧にそして的確なアドバイスをしてくれた。

選手も次第に自信を持つようになり、練習にもさらに熱が入る。地区の団体戦では強豪の東海大相模高校と1-1で迎えた3番手がファイナルゲームまでもつれ込むなど接戦を演じた。寒い冬もたくさんの練習試合をこなして1年が過ぎようとするとき、ごいさんは異動することになった。これからの大会での活躍を楽しみにしていただけに残念な思いだった。その後の4月の関東大会県予選会では1ペアが本大会への出場権を獲得した。ごいさんとしてはキャプテンの組も入れて2ペアを期待していたので必ずしも満足はしてないが、それでも1年間やってきたことが間違いではなかったことを確信した。

 知らないからできないと名前だけの顧問で終わることもできただろうが、やればやっただけのことが必ずあるということを改めて感じることができたから、ごいさんにとっては貴重な1年間だった。

これからの人生も前向きに生きなきゃね。

 

写真は、小田原テニスガーデン

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