子供の心
ごいさんは今までいろんな学校でいろんな生徒に出会ってきた。ほとんどの子が大学に進学するような学校から、3分の2ぐらいの子が就職あるいはフリーターになる学校まで。
下の子が小学校に入学した頃、しょっちゅう遊びに来ていた子がいる。それがいつの間にか来なくなった。中学生になった頃に、駅前のコンビニ前でタバコを吸っているのを偶然見かけた。ごいさんを見てちょっとばつの悪そうな顔をしたが、すぐにタバコの火を消して、頭を下げて挨拶してくれた。その時の顔は、よく遊びに来てくれていた頃のまんまだった。
小学校に入ったばかりの頃は頭の良し悪しなんて関係なく、みんな平等で楽しく遊んでいたはずなのに、どうしてこうなってしまうのか。
学年が進んで親の意向で塾通いが始まると、行っている子と行ってない子では能力の差がどんどん広がりだす。遊ぶ仲間も違ってくる。勉強のできない子はますます置いてけぼりにされ、知らないうちに自分自身で自分の心にレッテルを貼ってしまう。中学校でも半ばお客さんのように過ごして高校に入ってきても、高校の勉強を学べる力は無い。そういう子もたくさん見てきた。家に余裕が無ければ、専門学校に進んで技術を身につけることもできない。そんな子が就職する先はたかが知れている。
ごいさんは、生まれながらの才能というものはどの子にも平等であると思っている。どの子にだってあらゆる可能性が秘められている。その可能性を引き出せるかどうかは親の責任だと思う。親がどれくらい子供のことを真剣に考えてあげられるかだ。
お金がないので大学に行けないという声をたくさん聞いた。確かにアルバイトだけではやっていけない。家の理解と協力が必要だ。総じて大学に進める子たちは家庭的にも恵まれている。やがて大学を卒業すれば、労働条件の良い就職先を見つけ出すことができる。大学に進んだ子は、かなりのアドバンテージを手に入れたことに間違いはない。もちろん大学に行けなかった子がそのまま不幸になったわけではない。彼らは自分に与えられた状況を正面から受け止めて、精神的には大学に行った子以上に幸せになっているケースは多い。しかしその才能を開花させるべく大きな機会を失ったのも事実なのだ。
子供の心は純粋なんだ。大人になってもそれが消えることは無い。時々、あまり好きになれない人と話をすることがある。そういう時は、まずその人の顔を見て小さい頃の面影を探し出す。この人は言い出したら聞かない子で両親によく叱られていたんだろうななんて想像するだけで親近感が湧いてくる。不思議だね。しょうがないから少しぐらい話を聞いてやるかって気持ちになる。
今はどんなに悪態をついてるような人でも、小さい頃はみんな純粋な心の持ち主だった。子供の心って本当に素晴らしい。そしてそれは一生涯失われないものなんだと信じてる。
写真は、お散歩中の保育園児たち。目をどんぐりのようにさせて先生のお話をしっかり聞いていました。み~んな、天使のよう。