少し遅れて墓参り
父さんと自分とを比較してみた。
酒 父さん>ごいさん やっぱり勝てないだろう。
イケメン 父さん>ごいさん 背も高いし、鼻も高い。
もてもて度 父さん=ごいさん 互角でありたい。願望。
腕の力 父さん>ごいさん 父さんは大工さん。
足の力 父さん<ごいさん ごいさんはランナー、元サッカー選手。
優しさ 父さん>ごいさん 自分は優しい人間じゃない。
頭の良さ 父さん<ごいさん 両親のおかげだが。
話し上手 父さん<ごいさん 一応話すのが仕事なので。
子供好き 父さん>ごいさん 子供は苦手だ。
だめだ、あまり思いつかない。だいたい思いついたところでそんなに差がつくものじゃない。親子だから似ていて当たり前だもんね。でもこれって何気にいいアイデアじゃないか。こんなことで思い出すのでも少しは供養になるんじゃないかと思うのだけど。
小さい頃は死んだらあの世という所に行ってそこには天国と地獄があってそしていつかまた生まれ変わるなんていう話を信じていたのだけど、最近では死んだらすべてが無になってしまうのがいいと思い始めている。その後にどんなに惜しまれたり憎まれたりしてももうその人には届かない。あの世から現世の様子を見ているなんてこともない。小さい頃に母親が言っていた言葉を思い出す。「死んだらただ何も分からなくなるだけなのよ。」母さんは今でもそう思っているかしら。
そんなふうに考えれば、父さんだって40年前に死んで無に帰ってしまったはず。だけど不思議とそうは思えない。今も自分の背後からこのパソコンを一緒に覗いているんじゃないか。「また何書いてんだよ。くだらないことは書くなよ。」なんて言っている声が聞こえてくるようだ。
死んだら無になってしまうと考えている一方で、いつも父が見守ってくれていることを心のどこかで期待している自分がいる。マラソンスタート1分前には無事に完走できるようにと父に祈ったりしている。自分は無になりたいが父にはあの世というところに存在していてほしい。なんとも勝手な考え方だけど、まあそれが自分の正直な気持ち。
ということで、少し過ぎてしまったけど昨日お墓参りに行ってきた。お墓を拭いてお線香を上げてそして大関のワンカップを供える。6月24日、40回目の命日。