龍馬通りと碑巡り
さて旅の最終日の今日は長崎の一日観光だ。長崎には今まで5回来たけれど、そのすべてが修学旅行の下見や生徒の引率だった。仕事ということもあって行動にはそれなりの制限があったから全く自由に動けるのは今回が初めてということになる。そこで今回は念願だった龍馬通りの探索と、その後に平和公園を中心とした原爆の碑巡りをと考えてみた。
最初に訪れたのは、坂本龍馬のあの有名な写真を撮影したという上野彦馬が眠るというお墓。日本初のプロカメラマンと称される人物だそうだ。
続いて風頭公園の展望台に建つ龍馬像と対面。長崎港を行き交う船や長崎の街をどんな思いで見ていたのか。
向かいには司馬遼太郎の歴史小説「竜馬がゆく」の一節が刻まれた文学碑が建てられている。
「若宮稲荷神社」には、龍馬を始め多くの志士たちが参拝したという。
「亀山社中資料展示場」は、"亀山社中ば活かす会"という地元の龍馬ファンが運営する資料館だそうだ。どうりで中にいたおじさんが龍馬のことをやたら熱く語るはずだ。
「長崎市亀山社中記念館」。亀山社中はご存知の通り龍馬とその同志が興した日本初の商社。
「龍馬のぶーつ像」。早速ごいさんもブーツを履いて記念撮影。
龍馬通りに設置されている案内板が何ともユニークで面白い。
龍馬通りを抜けて中島川沿いに歩いて行くと眼鏡橋が見えてきた。中国の旧正月を祝う「春節祭」と合わせて「長崎ランタンフェスティバル」が行われていて、眼鏡橋周辺もずいぶんと賑わっていた。
お昼は「吉宗」の茶わん蒸し定食をと思っていたのだがご覧の通りの長蛇の列。30年前はガラガラだったんだけどなあ。
午後は浦上地区の散策ということで、まずは城山小学校の「少年平和象」。在校生約1,500名のうち、約1,400名が爆死したという。
原子爆弾落下中心地碑。
「平和記念象」。上に指した右手は原爆を、水平に伸ばした左手は平和を示し、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。
山里小学校にある「あの子らの碑」。1,581人の児童のうちおよそ1,300人が死亡、教職員32名中28名が死亡。
「如己堂」。永井隆博士が晩年を過ごし、多くの本を著した僅か2畳ほどの住居。
「浦上天主堂」。被爆遺構として保存しようという声があったが、保存困難ということで全面撤去され元の美しい姿に復元された。
天主堂の前の植え込みには、黒く焼け焦げた聖人達の石像が並ぶ。
浦上天主堂前の道路のガード壁面に刻まれている「長崎の鐘」の楽譜の一部。
山王神社の「片足鳥居」。強烈な爆風に耐え、今なお奇跡的に立ち続けている。
散策はこれにて終了。最後まで読んでいただきありがとうございました。