平塚七夕まつり

昨日の選挙は、与党の圧倒的勝利だった。これで憲法改正論議も一段と深刻さを増した感がある。公明党の組織票はある程度分かるけど、何故もあんなに自民党に票が入るのか不思議でならない。確かに野党の力不足は分かるが、あれだけ片寄るのは怖い気がする。改めて、これからの成り行きを注視していくことが国民の責務であることを強く意識した。


さて昨日は投票を済ませた後に、平塚の七夕まつりを見に行ってきた。神奈川に住んで50年以上も経つのに、実際に見に来るのは初めてなのだ。自分が高校生の頃は、7月の平塚七夕、8月の仙台七夕とよく比較されて、全国的にも有名だったように思うのだが、最近は昔に比べて規模がだいぶ小さくなったようだ。東日本大震災の影響や商店街の縮小化の問題があるらしい。その高校生の時は、いつも期末試験とぶつかっていた。好きな女の子と歩くのを夢見たりもしていたのだけど。

それにしてもすごい数の人だ。昔はこんな人混みの中でも平気で歩いたけど、今はものすごく疲れる。露店で何かを買って食べようという気にもならない。七夕飾りを見ながらただただ流されていくという感じ。では、みなさんもご一緒に流されていきましょうか。ただ、どうも出口の方から入ってしまったようで、上流に向かっていくという感じです。

手作り感がいい。これは幼稚園の子たちが作ったのかしら。f:id:goisan:20160710160256j:plain

 

あちこちに熊本応援の飾りが目立った。f:id:goisan:20160710160356j:plain

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肩車してもらっている子、けっこういた。こういうのって思い出に残るんだよね。f:id:goisan:20160710160524j:plain

 

アンパンマンは、み~んなが大好き。f:id:goisan:20160710160546j:plain

 

短冊がたくさん吊るされていた。家族の健康を願うのが一番多かったかな。小さい子の勉強ができますようにというのは確かに現実味がある。本当は、「~ますように。」と書くのはNGなのだそうだ。「~になる。」と断言する書き方の方が願い事は叶うらしいよ。

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まさに豪華絢爛。ライトアップされたらますます綺麗なんでしょうね。f:id:goisan:20160710160757j:plain

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真田丸も登場。それにイチローも。

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そしてこれが本当は入り口だったんですよね。

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ライトアップも見たかったけど、少々疲れてしまったので早々に引き上げることにした。

マラソンと同じで、ここにもたくさんの裏方さんがいるんですね。おかげで、楽しく七夕まつりを見せていただきました。ありがとうございました。

 

函館マラソン ~ 観光編その2 ~

函館も最終日。飛行機は最終便なので、今日は定期観光バスに乗ってみることにした。お客さんは10名ほど。アットホーム過ぎて申し訳ない感じ。

最初に訪れたのはトラピスト修道院。修道院に続く並木道は「ローマへの道」と呼ばれているそうだ。お馴染みのクッキーとバター飴も購入。

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次に新函館北斗駅。今や観光名所になっていて、休日ともなると各地からの訪問者で駐車場はいっぱいだそうだ。駅の裏側にある田んぼアート。描かれているのは「ずーしーほっきー」というご当地のゆるキャラ。北海道も近くなったもんだね。

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新幹線開業に合わせて作られたというきじひき高原の展望台からの眺め。写真は、大沼と小沼、それに函館山。牛さんたちもたくさん放牧されていた。

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大沼公園では駒ヶ岳の美しい姿がくっきり。山川牧場の牛乳も美味しかった。

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続いて、しかべ間欠泉公園の間欠泉。約10分の間隔で、100度の温泉を15メートルの高さにまで噴き上げる。

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函館駅に戻る途中であの「ともえ大橋」を通過。

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お土産を買って早めに空港に向かう。搭乗を待っていると、出発15分前に放送が入った。いよいよかと立ち上がったところで聞こえてきたのは、「羽田からの便が霧のため着陸できず千歳空港に向かったので、帰りの便は欠航。」という内容だった。

空港にも居られないというので、明日の便への手続きを行って、函館駅に戻ってきた。すでに夜の9時を回ってどこのホテルもいっぱいのよう。素泊まりで9,000円の部屋というのはあったが、結局は海岸沿いのファミレスで凌ごうと考えた。しかし残念ながらそこも2時までの営業。

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6時からは谷地頭温泉が開くから、それまでをどう過ごすか。見知らぬ街で真夜中の散歩も悪くはないかとポジティブに考えて、駅に向かってのんびり歩くことにした。駅が近くなって、土方歳三の終焉の地があるのを思い出した。こんな形で出会うことに不思議な縁を感じた。

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温泉は気持ち良かった。内風呂が3つに露天風呂、サウナもあって420円はお得。鉄分のせいでお湯が赤茶けていて、いかにも効能がありそうだ。外は相変わらず霧が立ち込めている。函館山のロープウェイのロープが途中で消えているのが不思議な光景だった。帰りの飛行機は飛べるのだろうかと不安が募る。

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すでに観光しようという気持ちは失せていたから早めに空港に行くことにした。空港に着くと同時に全日空の便が千歳に回ったという放送が入った。滑走路は依然として霧で見え隠れを繰り返している。搭乗便の到着予定の午後2時に、霧のため上空で待機しているという放送が入る。着陸できない場合は羽田に戻るか千歳に回るという。2時30分に依然上空を旋回中という放送があり、それから少しして着陸態勢に入ったという放送が入る。乗客たちからは歓声が起きる。後から聞いたのだがこの時が3度目の挑戦だったようだ。

最後にはハラハラドキドキのおまけ付き。いよいよ函館山とお別れだ。何はともあれハッピーエンド。函館の皆さん、ありがとうございました。函館の町の復活、心より祈っています。

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函館マラソン ~ 観光編その1 ~

【前日】ホテルに午後4時に到着。早速お目当ての塩ラーメンで腹ごしらえ。札幌のみそラーメン、旭川の醤油ラーメンと合わせて、北海道の三大ラーメンと呼ばれている。

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大会の受付は6時からということで、その前に会場近くにある五稜郭タワーに昇ることにした。函館出身のラン仲間のS田さんがまずは五稜郭タワーに昇るべきだと言っていたが確かにその通り。高さ 90mからの眺めはさすがだ。小雨にけぶっていたけど、それはそれでまた味わいがあるというもの。この後、千代台公園での受付を済ませて宿に戻る。

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【当日】大会の結果は前回の記事に書いた通り。終わった後、疲れと寒さに襲われ真っ直ぐ宿に戻りシャワーを浴びて横になったらそのまま寝てしまった。目が覚めたのが夕方の5時。まだまだ明るい。体も回復してきたので街をぶらついてみることにした。案内を見たら、元町の坂道巡りが面白そう。疲れているのに何を好き好んで坂道なんてと自分でも思ったけど、しかしこれがなかなか良かった。観光客もあまりいなくて、静かな中をのんびりと歩くことができた。
写真は順に、二十間坂、函館ハリストス正教会。そして「日本の道百選」に認定されている大三坂。

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続いて八幡坂。「NIKKEIプラス1」の「何でもランキング」で、この坂道が「観光で訪れたい坂」のNo.1になったという。海と空が一直線につながっているような一本道の眺めが素晴らしいとの評価だ。

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そして古き良き時代の面影を今に伝える「旧函館区公会堂」。このテラスからは先ほど走ったばかりの「ともえ大橋」が見える。あんなに苦しんだのに、あの橋をもう一回走ってみたい気もしている。その次の写真は、基坂を下って見上げたところ。

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【3日目】この日は、名物の朝市から始まった。早朝なのにたくさんの観光客が訪れている。お客さんを呼ぶ声が飛び交う。何はともあれ、まずは朝飯だ。やはりここは丼ものということで、お勧めの3色丼にした。3種の具材を選べるというので、ウニといくらとカニを注文。どうです、美味しそうでしょう。朝飯にしてはボリュームあり過ぎかも。

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今日は市電・バスの一日乗車券を使ってあちこち回ることにした。最初に訪れたのは、ご存知トラピスチヌ修道院

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次に向かったのは海岸沿いにある啄木小公園。叔母さんの影響で、小学生の頃に啄木に夢中になった時期がある。こうして銅像を眺めているとその頃の様子が思い出されて懐かしい。

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昼間の函館山もいいよというS田さんのアドバイスを受けて上ってみた。確かに壮大な眺めだ。

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帰りは登山道を歩いて下りることにした。函館公園の方に回ってみると、そこに昔ながらの遊園地と動物園があった。ここにも北海道新幹線はやぶさ」が乗り入れていた。

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仲がいいお二人?さん。隣にいたチンチラさんと目が合ってしまった。

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一度ホテルに戻って、改めて夜景見物に出かける。すでに凄い数の人で、眺めのいい場所はすべて陣取られていた。少しずつ明かりが増えて、そして100万ドルの夜景が完成していく。

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第1回函館マラソン

この前の日曜日に函館マラソンに参加してきた。第1回というのに引かれたことと、函館という町を今までに歩いたことがないというのがある。フェリーで行った時には通っているはずだし、函館山で撮った写真も残っているのだが、それ以外に観光らしきものをしていないのだ。

ホテルはいつものように駅前のビジネスホテル。当日の朝は5時に起床。朝食を済ませ、7時半には会場に到着。週始めに風邪で寝込んだせいか、いつも以上に弱気になっている。木曜日に20キロほど走ってみて、なんとかなると判断して参加を決めた。走るなら走り終わっての充実感を味わいたいから。それに応援してくれる人たちと最後まで一緒に楽しみたいというのがある。

9時ちょうどにスタート。参加人数は4,000人ほどでGブロックまであるから単純に1ブロックあたり500~600人ぐらい。Cブロックのごいさんの目標は、順位は1,000番前後、タイムは3時間40分台。制限時間は5時間ということだから全体的にレベルは高そうだ。

最初の5キロは26分50秒。これならいけそうと判断して少しペースを上げてみる。次の5キロは25分17秒。14キロ地点で折り返すと向かい風を受けるようになる。さらにアクシデントが発生。20キロでタイムを確認しようとしたらその手前で知らないうちに時計を止めていた。その間の距離およそ1.5キロ。この先時計が当てにならないという事態に、動揺が走る。

海沿いを走るようになると、風の勢いが増し雨も混じり出した。ともあれ20キロまでの10キロは50分51秒で踏ん張る。街中に入ってくると風は弱まったが、今度はなんとも長い上り坂が続く。それを上り切っては下る。その下りが終わったところが折り返し地点だから、当然のようにまた上る。ボディブローのように効いてくるこのアップダウンで、スピードは確実に落ちていく。30キロまでの10キロは54分19秒。

30キロ過ぎの跨線橋のアップダウンを終えた後に、待ち構えていたのが海上に架けられた全長約2キロの「ともえ大橋」だ。この大会の目玉なのだろう。風のないいいい天気なら、ここからの眺めは最高に違いない。そしてベイエリアの赤レンガ倉庫群へと繋がる。しかし、今日は違った。ここでの上り坂と橋の上の強い風にとどめを刺された感じだ。

36キロ地点のエイドでは海鮮丼や塩ラーメン、チーズオムレツや夕張メロンと盛りだくさん。走る前から楽しみにしていたのに、食べる気にならない。唯一食べられたのは夕張メロン。美味しい~と思った瞬間、もう一つ頂いていました。そして再びともえ大橋へ。

ともえ大橋が終わると再び跨線橋の上り。その途中に40キロ地点があり、この10キロは1時間6秒。こんなに頑張ってもキロ6分、本当に不思議に思う。残りは2キロ、まだ3時間40分台は狙えると考えて自分では懸命に走ったつもりだけど、タイムは3時間50分28秒。順位は818位/2723人中。風邪を理由に言いわけしても、やっぱり悔しい。

今日も雨風の中をたくさんの人が応援してくれた。ボランティアの皆さんや大会関係の方たちのやる気も感じられた。みんなでこの函館の町を盛り上げようとする、そんな思いが十分に伝わってきました。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

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39回目の父の命日

今日は父の39回目の命日。月日が経つのは早いものだとつくづく思う。生きている時にはあれほど嫌っていた父が、亡くなってからはずっとごいさんの心の支えだった。いつもどこかで見ているはずだ。情けないことはできない。きっと応援してくれている。だからといって、いつもうまく行くわけじゃない。でもそう思うことで、たとえうまく行かなくても割と冷静でいられる。自分で手を抜いて父にすがるなんてことはできない。父が亡くなってからの方が自分をしっかり律せられるようになった気がする。

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その日の父は、「〇〇、起きろ!仕事に遅れるぞ!」という声をかけて会社に行き、朝の9時に倒れてそのまま意識を回復することなく3日後に亡くなった。しばらくは毎日のように夢を見た。「帰ったぞ」という声と共に玄関が開き、笑顔の父が入ってくる。そして「お帰り~」と言った瞬間に目が覚める。だいぶして夢だということに気づく。39年も経つと、さすがに父の夢を見ることもなくなった。父の声も聞こえなくなって、声自体も忘れてしまった。確か実家のどこかにテープレコーダーに遊び半分で録音したのがあったはずなのだが、探してみたけれど見つからなかった。

父と一緒に生きたのは24年と6ヶ月。その間、ごいさんは父が大嫌いで、ろくな会話もしてこなかった。だから父が何を考えていたかなんてまるで見当もつかない。今は、残されている記憶を少しずつつなげて父の思いを探し出そうとしている。そうして人情味あふれる父親のイメージが出来上がりつつある。亡くなってからの方が、生きていた頃よりもずっとみんなから慕われ頼りにされている感じだ。39年もの間、そう思われている父親は亡くなっても幸せに違いない。

でもよく考えれば、きっとあと数年もしないうちに父とは和解できたように思う。孫ができて優しいお爺さんになって、手先の器用な父さんは家のことやおもちゃなど何でも直してくれる。お嫁さんからも孫たちからも神様のように思われるだろう。あんなに読書もしていたから、その知識の量はきっとごいさんを抜いているはずだ。やっぱり49歳で死ぬのは早かったね。もう少しで一緒に酒が飲めたかと思うと、本当に残念だ。

今日は仕事があったので、墓参りは昨日に済ませてきた。もちろん走ってね。颯爽と生きている所を見てもらわなくちゃいけないし。「みんなを守っていてよ。」って、しっかりお願いしてきた。結局、また頼りにしちゃいました。

 

突然どこからか飛んできて、ごいさんの周りを飛び回っていた。カメラを向けたらポーズをとってくれてるよう。一緒にお墓参りをしてくれました。f:id:goisan:20160623160800j:plain

 

ごいさん、風邪でダウン

土曜日の夕方、2時間ほどのランニングを終えて風呂に入った時だった。喉が妙にいがらっぽい。この違和感は何だろうと思っていたら、段々と痛みを感じるようになってきた。それとともに鼻水の出現。あれぇ、風邪かなあ。日曜日になって喉の痛みは少し収まったものの、鼻水の方が勢いを増してきた。夕方あたりになって、予想通り熱が出てきて全身がけだるい感じになってきた。もう風邪に間違いないと思ったから、その日は早めに床に就くことにした。

それでも鼻水やらくしゃみやらでなかなか思うようには寝られない。何だかんだと朝の5時半、子供の朝食の準備もあって起床。かなりふらつく感じで、熱を測ったら38度。もう少し若い時ならどうってことのない数字なんだろうけど、今回はけっこうきつい。6時半に子供と奥さんを追い出し、それから一気に洗濯。洗濯物を干し終わって8時を少し過ぎて、再びベッドにもぐりこんだ。これだけ書くともの凄く主夫をやっていると思われるかもしれないけど、どうせ洗濯と言ったって全自動だしね。大したことではないのです。

とにかく午前中は布団にくるまってウィルス軍団をやっつけようと計画したのだが、これがなかなか手ごわい。お昼になっても食欲はわかず、栄養補給は流動食が中心。結局、午後になっても布団の中でウィルス軍団vs免疫細胞軍団の戦いをじっと見守るしかなかった。相変わらず鼻水にくしゃみに発熱は続いている。

今朝も5時半起床だがいくぶんけだるい感じが消えていた。どうやら免疫細胞軍団が優勢に立ったようだ。鼻水は止まり、熱も37度5分くらいまでに下がっている。「よ~し、よく頑張っているぞ、我が免疫細胞諸君。ここで一気にいっちゃおう。」その後は予想通りだ。時間が経つにつれ熱も下がり夕方には36度台の平熱水準に落ち着いた。

こんなこと書いても皆さんには何の役にも立たないけど、自分が風邪を引くなんて何年ぶりのことか珍しいこと。記録しておけば何かしらの思い出になるかと思い、ちゃちゃっと書くことにした。読んでいただいた皆さんには時間を無駄に使わせてしまったと思います。申し訳ないです。

 

どこからきたんだろう、植えたわけでもないのに。一輪だけポッと咲いていた。f:id:goisan:20160620064612j:plain

 

父の日に、父として

ごいさんは二人の息子の父親である。長男は37歳、次男は30歳になる。今日は父の日。いつもなら自分の父親を偲ぶ記事でも書くところなのだが、今日は父である自分自身を振り返ってみようと考えた。

自分が小さい頃の父親は、仕事もろくにせずに酒ばかりを飲んでいた。そんな父親が嫌いで嫌いでしょうがなかった。だから自分に子供が生まれた時、どんな父親であれば良いのか、あまりよく分らなかった。ただ、自分が悲しい思いをしてきたことだけはしないようにしよう、子供にはできるだけ関わるようにしようということだけは考えた。海水浴やスキーにも行った。お弁当も作ったし食事も作った。学校の行事や授業参観にも行った。誕生日やクリスマスなどのプレゼントも忘れたことはない。

でも子育ては難しい。自分の父親ができなかったことをそれなりにはやったつもりだが、結局は子供のことをあまり理解できなかった。もともと子供たちは話好きでもないから、会話も少なかった。それに一方的な押し付けも多かったように思う。自分が嫌いだった父親とまでは言わないまでも、子供たちに自分のどれくらいを理解してもらえたことか。ふっと寂しく思う時もある。

ごいさんの父親は49歳で亡くなった。だからそれ以降の父親像も自分で考えるしかない。父がいないということで、「居てくれるだけでいいのに」というその存在の重要性を強く感じることがたびたびあった。世の中における父親の存在価値は、まだまだ大きいようだ。頼りなくたっていい。それでも、そこに居てくれるだけで十分に価値があるのだ。そう、それこそが父親としてのごいさんのこれからの役目じゃないかと思いついた。いつも子供たちの傍に居て、静かに見守っていてあげる。大げさに書くほどに大した仕事でもないけど……ね。

今だから、なんとなく分かる。きっと自分が亡くなったら、父さんと飲みたかった、もっと話したかったって言ってくれるような気がする。特に男の子はたいがいそんなもんじゃないかと思う。ごいさんもあれほど嫌いでほとんど話をしたことがない父と、今になって酒を飲み父の本当の気持ちを聞いてみたいと思うから。父親なんてそういう存在なのだと思う。

最近は、ぼそぼそと言う子供の声に、「えっ、何だって」って聞き返すことが多くなった。耳も遠くなっちゃった。でもね、わずかな単語での会話だけど、それでもとても嬉しいのだ。男の子はそれでいいよ。それに、今の自分は何かと忙しいからそれほど子供にかまってもらわなくてもいいし、かまわれ方もよく分からない。

でも書いておきたい。「ありがとう。君たちがいてくれたから本当に幸せな人生だったんだ。二人の小さい頃の思い出は父さんの宝物だ。目を閉じればいつもキラキラ輝いている。いつになるか分からないけど、今度、ゆっくり飲みに行こう。話すことなんかなくてもいいやね。」

 

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