09の旅 ~ 水戸 ~

この前の日曜日月曜日と「09の会」のメンバーで1泊2日の旅をしてきた。09の会というのはこのブログにも何回か登場しているが、2009年4月に入学してきた生徒たちを一緒に受け持った先生たちの集まりである。1組から8組までの8人の先生で3年間を担当してきた。自分にとっても教師生活最後の受け持ちだから思い出深い。

生徒を卒業させて6年が過ぎるがその間に異動したり退職したりで今はみんなてんでばらばらだ。それでも年に2~3回集まっている。特にメンバーの誰かが退職する時は1泊してみんなでお祝いをする、いつからかそんなことになっている。それで今年はS本さんが無事に定年退職を迎えての旅行ということになったのだ。

初めてこのメンバーに会ってから今年でちょうど10年になった。8人のうち学年主任のT金さん、ごいさん、S野さん、T岩さん、S本さんの5人が50代で、後は30代のA川さん、そして新任で20代のM井さんとK子さんという構成だった。当時の学年会では何かにつけて喧々諤々の議論を交わしていたのだけど、生徒を卒業させた後で不思議なくらいに一体感が生まれてきた。そうして彼らとのつき合いが今も続いている。

1泊旅行も今年で5回目になる。前回の秋の集まりの時はつくばマラソンの前日ということで欠席してしまったからみんなに会うのは1年ぶりだ。それでも自然にすっと融け込める感覚が何とも心地よい。みんなと出会って10年、そうみんな10歳分だけ平行移動した。若手は若手のままに、年寄りは年寄りのままに。当然だけど年齢順も変わらなくて、だから安定している。だから一緒にいて心地よいのだと思う。

さてここからは旅の話。今回のメインは弘道館偕楽園千波湖といった水戸駅周辺の探索だった。最初に水戸一高までの坂道を一気に上がる。ごいさんにとってこの水戸一高は小学生の時に憧れていた高校だった。その頃の水戸は田舎に住む小学生だったごいさんにとって眩いばかりの大都会だった。だから何としてでも高校はこの大都会の水戸に通いたいと密かに考えていた。もちろん入学できたかどうかは怪しい。

弘道館f:id:goisan:20180325133213j:plain

それから水戸三高の横を通って弘道館に向かうのだが、ここは教員採用試験の会場だったところだ。もう遠い昔の話だけど、もしかしたら茨城県の先生になっていたかもしれないなんてちょっと思ってみた。弘道館ではボランティアガイドの方から詳しい説明が聞けて、幕末の様子がひしひしと伝わってきた。続いて偕楽園に向かったが、梅の方は残念ながら見頃はもう過ぎていて、次の桜を迎える準備が進められていた。

好文亭から見た偕楽園f:id:goisan:20180325150129j:plain

千波湖にはたくさんの黒鳥がいた。f:id:goisan:20180325154249j:plain

翌日は水戸線で小山に抜け宇都宮で「みんみん」の餃子を食べてから市内を散策する。宇都宮特産の大谷石で作られた松が峰教会が特に印象に残った。ともあれみんなで一緒にはしゃぎながら歩くのが楽しかった。今回もS野先生の企画は大正解。いろんなことを楽しく勉強させていただきました。そしてみんなの笑顔のおかげで楽しい旅となりました。みんな、ありがとう。

※早朝ランニングで見た朝日f:id:goisan:20180326060542j:plain

※やっぱり水戸と言えば……。f:id:goisan:20180326101258j:plain

 

雨の中の墓参り

今週の火曜日に父の墓参りに行ってきた。いつものように母を迎えに行くと、早くに起きてぼたもちを作って待っていた。母はこの日を楽しみにしているのかな。ふとそんなことが頭をよぎる。(今度聞いてみよう。)熱いお茶と一緒にぼたもちを一個ほおばる。もう何年も同じことを繰り返している。そして母の決まり文句が出る。「もう一個食うか?」

本当はお彼岸の中日に行くことにしていたのだが、天気予報によると雨が強く降るとのこと、もしかしたら雪になるかもしれないということで、急きょ火曜日に変更したのだった。実際、彼岸の中日はけっこうな雪が降って、かなりの寒さだった。ただ火曜日も雨がそれなりに降って寒さもかなりのものだった。それでも雪よりはましだったかという感じ。

平日で雨という割にはお墓にはそこそこの人たちが訪れていた。みんな同じような考えなのだろう。綺麗な花がお墓に飾られている光景はいつ見ても清々しい。早速に母は赤いカッパを着こんでお墓を拭きだす。見ているだけで寒くなってくる。続いて隣の伯母さんの墓も拭き始めた。何分ぐらいだろう、ただもくもくと拭いている。それから花を飾り、持ってきたぼたもちとお菓子を供える。もちろん雨だからビニール袋に入れたままだ。

全てが用意された頃合いを見計らってお線香に火をつける。(これは僕の仕事。)そうして合掌。いつもならここで少しのんびりするところなのだが、この雨ではどうしようもない。とにかく寒くて、母の体も心配だ。お墓参りして体を壊してしまっては本末転倒だしね。ともあれ母の記念写真だけはしっかり撮影して、祖母の墓へと向かう。

祖母の墓まではここから車で1時間ほど。横浜のど真ん中にある。雨はさらに勢いを増している。もうお墓も綺麗にしているどころではない。とりあえずお花とお菓子を供えてお線香を手向けて合掌する。母にとっては自分の両親や兄妹の眠る墓だ。何度も来られるものではないからゆっくりしたいところなのだろうけれどさすがにそんな悠長なことも言っていられない。

こうして今年の春のお彼岸の墓参りもどうにか無事に終了した。いつものように丁寧とまでとはいかなかったけれど、安堵感と満足感が母の表情には表れていた。こんな寒い中、88歳の母が雨に濡れながら墓石を拭きお線香を手向けに来る。それだけで十分立派なことだと思う。

帰りの車の中では、また母のいつもの言葉が聞こえてくる。「疲れる、疲れる。もう次は来られないかもしれないよ。」もうずっと聞いている言葉だから、オオカミ少年の言葉のように聞き流しているけれど、でも案外本当のことだったりするのかな。そしてここで気づいたよ。こうして出かけるのを楽しみにしているのは母よりも本当は自分の方だっていうことに。だから、秋のお彼岸もまた一緒に来よう……って、心で思った。

f:id:goisan:20180321111042j:plain※お彼岸の中日の雪の降る様子。積もることはなかった。

 

鳥取散歩

家を出る時は土砂降りの雨。駅まで行く数分の間に全身びしょ濡れ。風も強くて欠航も心配したが、予定通りに出発。厚い雲を抜けた後は気持ちの良い青空が広がった。下に敷かれた雲のじゅうたんの凸凹が面白い。f:id:goisan:20180309080146j:plain

鳥取コナン空港では予想通りの雨。レンタサイクルを借りて回ってみようという計画はあっけなく頓挫。それとお目当ての砂の美術館は次回開催の準備のため4月まで閉館中だった。どうしたものかと思案していたら、雨も小ぶりになってきたので、とりあえず砂丘へ行ってみることにした。砂丘に着いた時はすでに雨は止んでいたが、強風が吹き粉雪も舞うなどそうとうに寒い。人影もまばらで、さすがのごいさんも30分で退散。f:id:goisan:20180309115510j:plain

帰りに途中下車して鳥取城跡を見学する。あの秀吉による兵糧攻めの舞台になった城だ。ブラブラと歩いていたら、観光ボランティアの人が寄って来てくれてあれこれと丁寧に説明をしてくれた。やっぱり人から話を聞くのが一番分かりやすいね。

※山頂に本丸があった。f:id:goisan:20180309125400j:plain

※球体の形をした石垣は「巻石垣」と呼ばれ石垣崩落を防止するために築かれた。f:id:goisan:20180309143427j:plain

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二日目は「Gバス」というバスツアーを利用する。昼食がついて4,000円也。参加者は20名ほど。まずは因幡の白兎で有名な白兎海岸、白兎神社に向かう。大国主命と八上姫の仲をこのウサギが取り持ったということでこの神社は縁結びのパワースポットだそうだ。

※右の小さな島が白兎が戻れなくなっていた島。f:id:goisan:20180310102929j:plain

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続いて青谷町での紙すきの体験。こういうのは不器用であまり好きではないのだが興味だけは一人前にある。工房の人に補助してもらいながら紙をすく。その上に色水を垂らしたり切り抜いた紙を置いたりしてデザインを作る。その後で水を吸い取り熱い鉄板で乾かせば見事な和紙の完成だ。これをぐるりと巻いて素敵なランプシェードの出来上がり。不器用な自分でも十分に満足。f:id:goisan:20180310113308j:plain

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城下町「鹿野」を探索。ボランティアガイドの方が城主の方を「亀井さん」と親し気に呼んでいたのが印象に残った。お昼は人気の「すげ笠御膳」。f:id:goisan:20180310133257j:plain

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そして夏泊海岸、魚見台で雄大日本海を一望して、最後の見学地鳥取砂丘に向かう。同じ場所なのに昨日とはだいぶ違う様相だ。この後駅まで戻って6時間余りのバスツアーは終了。f:id:goisan:20180310153413j:plain

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最終日にもう一度砂丘に出向く。快晴の天気だ。風もあまりなく心地よい。思い残しのないように2時間近くたっぷりと歩き回った。天気のいい時は気持ちも晴れやかになるね。では最後に砂丘の写真をたっぷりと。f:id:goisan:20180312102331j:plain

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おまけ。f:id:goisan:20180311144031j:plain

 

鳥取マラソン

名古屋ウィメンズマラソン、古河はなももマラソンと盛り上がっていたこの前の日曜日、自分は鳥取ラソンに参加してきた。4,000人ほどのアットホーム的な大会だ。天気予報は晴れで暖かくなるということだったが、空は灰色の雲に覆われ寒くてなかなか上着を脱ぐことができない。ゼッケンは申告タイム順のようでごいさんは1,800番台。一般ランナーのゼッケンは1,001番からでその前に陸連登録選手が300人ほどいるから、ごいさんの妥当な順位は1,000番前後だろうと考えた。

荷物預けまもなく終了のアナウンスで仕方なく上着を脱いで荷物を預ける。ゼッケンは申告タイム順のようだがブロックは決められていない。当日の状態で多少の前後はできるようだ。今回の自分の目標は下の写真の通りだ。実のところこれも厳しいかという状態だった。前から痛かった首と腰に加えて、先週の三浦マラソンで左ひざを痛めてしまったのだ。大事を取ってこの一週間は一度も走らなかった。DNSはどうしても嫌だったのとDNFもありかと考えた上でやって来た。

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スタート直後の1キロ余りの急な上り坂はちょうどアップを兼ねる形でそれほど苦に思わなかった。沿道にはたくさんの人がいたが、今回はおじいちゃんやおばあちゃんの応援が特に目に付いた。手を振ると一生懸命に手を振り返してくれるのが嬉しい。やっぱり一週間走っていないのは不安に感じる。足の調子も気になる。いろんなことが入り混じって気持ちは暗くなるのだが、そういう時はその思いを払拭するように積極的に沿道の人に手を振った。

後から応援ナビを見たがスタート時は954番だったからまあ妥当な所に並んでいた。最初の10キロは51分33秒で通過する。順位は641番へと急上昇。次の10キロは50分37秒で順位は614位とどうやら同じレベルのランナー集団に追いついたようだ。ここで第二の大きなアップダウンがやってくる。長い坂道でかなりの辛さだ。そうしてこの10キロは52分22秒でクリア。順位は531位だからこの坂で多くのランナーが脱落した感じだ。

終盤に入ると強い向かい風を受けてますますスタミナを消耗する。それでも35キロまでの5キロはぎりぎり26分台で耐えた。でも気持ちはここまで。ゴールが見えたことで安心したことがあるかもしれない。40キロまでの10キロは55分45秒と落ち込んだ。しかし順位は451位とまだ上昇している。自分も辛いが周りはもっと辛く感じていたのだろう。

そして最後の2キロ、いつものように最後ぐらいはかっこつけたくてそのつもりで走っていたのに、残り600mぐらいのところで急にめまいを感じた。軽いハンガーノックのような症状。慌てて残っていたジェルを補給するのだが、その間にも多くのランナーが通り過ぎていく。その後懸命に走ったけど彼らには追い付かなかった。そしてフィニッシュ。タイムは3時間42分50秒。順位は452位と1つ落とす。最後の200mは苦しい表情丸出しで走った。今回はずっと笑顔で来られたのに最後に来て笑顔を見せられなかったのが心残りとなった。

最後に、応援の皆さん、ボランティアの皆さん、本当にありがとうございました。

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龍馬通りと碑巡り

さて旅の最終日の今日は長崎の一日観光だ。長崎には今まで5回来たけれど、そのすべてが修学旅行の下見や生徒の引率だった。仕事ということもあって行動にはそれなりの制限があったから全く自由に動けるのは今回が初めてということになる。そこで今回は念願だった龍馬通りの探索と、その後に平和公園を中心とした原爆の碑巡りをと考えてみた。

最初に訪れたのは、坂本龍馬のあの有名な写真を撮影したという上野彦馬が眠るというお墓。日本初のプロカメラマンと称される人物だそうだ。f:id:goisan:20180227102926j:plain

続いて風頭公園の展望台に建つ龍馬像と対面。長崎港を行き交う船や長崎の街をどんな思いで見ていたのか。f:id:goisan:20180227103108j:plain

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向かいには司馬遼太郎歴史小説竜馬がゆく」の一節が刻まれた文学碑が建てられている。f:id:goisan:20180227103940j:plain

「若宮稲荷神社」には、龍馬を始め多くの志士たちが参拝したという。f:id:goisan:20180227110027j:plain

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亀山社中資料展示場」は、"亀山社中ば活かす会"という地元の龍馬ファンが運営する資料館だそうだ。どうりで中にいたおじさんが龍馬のことをやたら熱く語るはずだ。f:id:goisan:20180227110306j:plain

長崎市亀山社中記念館」。亀山社中はご存知の通り龍馬とその同志が興した日本初の商社。f:id:goisan:20180227112607j:plain

「龍馬のぶーつ像」。早速ごいさんもブーツを履いて記念撮影。f:id:goisan:20180227112451j:plain

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龍馬通りに設置されている案内板が何ともユニークで面白い。f:id:goisan:20180227113808j:plain

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龍馬通りを抜けて中島川沿いに歩いて行くと眼鏡橋が見えてきた。中国の旧正月を祝う「春節祭」と合わせて「長崎ランタンフェスティバル」が行われていて、眼鏡橋周辺もずいぶんと賑わっていた。f:id:goisan:20180227121440j:plain

お昼は「吉宗」の茶わん蒸し定食をと思っていたのだがご覧の通りの長蛇の列。30年前はガラガラだったんだけどなあ。f:id:goisan:20180227121250j:plain

午後は浦上地区の散策ということで、まずは城山小学校の「少年平和象」。在校生約1,500名のうち、約1,400名が爆死したという。f:id:goisan:20180227135259j:plain

原子爆弾落下中心地碑。f:id:goisan:20180227140802j:plain

「平和記念象」。上に指した右手は原爆を、水平に伸ばした左手は平和を示し、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。f:id:goisan:20180227141647j:plain

山里小学校にある「あの子らの碑」。1,581人の児童のうちおよそ1,300人が死亡、教職員32名中28名が死亡。f:id:goisan:20180227145718j:plain

「如己堂」。永井隆博士が晩年を過ごし、多くの本を著した僅か2畳ほどの住居。f:id:goisan:20180227143114j:plain

浦上天主堂」。被爆遺構として保存しようという声があったが、保存困難ということで全面撤去され元の美しい姿に復元された。f:id:goisan:20180227151350j:plain

天主堂の前の植え込みには、黒く焼け焦げた聖人達の石像が並ぶ。f:id:goisan:20180227151424j:plain

浦上天主堂前の道路のガード壁面に刻まれている「長崎の鐘」の楽譜の一部。f:id:goisan:20180227152025j:plain

山王神社の「片足鳥居」。強烈な爆風に耐え、今なお奇跡的に立ち続けている。f:id:goisan:20180227154708j:plain

散策はこれにて終了。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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長崎の友

翌日は福江島をぐるりと一周する予定でレンタカーを借りる。前日の雨中のマラソン大会とは違って良く晴れた絶好の観光日和となった。最初に向かったのは大瀬崎灯台。長崎出身の友だちや五島を訪れたことのある仲間が口をそろえて、「ここは絶対に行くべきだ」と言う。駐車場に車を止め、展望台に上がると東シナ海の海が目に飛び込んできた。その真っ青な海に突き出るようにして真っ白な灯台が立っている。f:id:goisan:20180226102520j:plain

次に荒川温泉に寄って足湯に浸かってから高浜海水浴場に向かう。これが見たこともないくらいに美しい光景だ。写真の通りの見事なエメラルドグリーンの海。夏はバナナボートやマリンジェットも登場するというからさぞや賑わうことだろう。それから前日に走ったマラソンコースを辿りながら遣唐使ふるさと館に向かう。一番苦しい最後の10キロのところだ。前日だったはずなのにすでに懐かしく感じる。エイドでおばさんたちと話しをしながらかんころ餅を食べたのを思い出す。f:id:goisan:20180226130637j:plain

最後に向かったのは堂崎教会。井持浦教会、貝津教会、水ノ浦教会と見てきて4つ目になる。後で友達に聞いて知ったのだが、五島列島には50の教会があるという。今回は4つしか見てないので大それたことは言えないのだが、教会の静寂の中に身を置いてみると、信徒ではない自分でもそれまでの歴史のことやそこに住む人たちの思いが伝わってくるような気がしたのだった。f:id:goisan:20180226152444j:plain

こうして約6時間のドライブを終えて、16時30分の高速船に乗り福江島を後にする。長崎港に18時10分に到着。すぐにいちごさんご夫妻との待ち合わせ場所、長崎駅に向かう。前回の記事に書いたけれど、いちごさんご夫妻との最初の対面は本当に意外なものだった。トップのランナーが走り過ぎるのからずっと見ていたというから、それからごいさんが来るまでは30分ぐらいはあっただろう。雨の降る寒い中をずっと待っていてくれたのに、ろくに声をかけることもハイタッチすることもできなかった。f:id:goisan:20180226185231j:plain

でもこのサプライズ、後でよく考えてみたら、いちごさんたちなら十分にあり得ることだと思った。ウサギマンさんのことがあったから、少し考えたならば予測できたのかもしれない。それでも高速船を使ってその日の朝にやってきてそして帰るという。例え思ったにしてもそうそうできるものではない。それをやってしまうところにお二人の気持ちが現れているように思えた。

この横断幕もお二人がどのような話をしながら作ったのだろうと考えただけで心が温かくなってくる。出来栄えからしてかなりの時間がかかったのではないか。それに道具を買いそろえる時間もあったはず。そこに自分はいなかったけどその時のお二人の心の中には確かにごいさんが存在していた。そう思うだけで何だか嬉しくなるのだ。f:id:goisan:20180212142912j:plain

お二人とはラソンの後に福江港の待合所で再会していて、その時はもう既知の友という感じで緊張感や違和感を抱くこともなく普通に会話ができた。そして長崎で再びの再会となった。いちごさんは仕事の帰りということで、この日はネクタイにスーツ姿がよく似合っていた。あっという間の3時間だったけど、たくさんの話が聞けてとても有意義だった。これでブログを読むのがまた楽しみとなりました。

 

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ごいさん、五島列島を走る

長崎出身の友人が盛んに五島に行くことを勧めるのと、長崎に住むブログ友のいちご一笑さんにお会いするのを目的に、先月25日の日曜日に五島つばきマラソンを走ってきた。

前日は福江港の近くに宿をとる。天気も良く当日が楽しみだったのだが、朝起きてみると雨が降っていてあいにくの天気。スタート直前にはだいぶ雨足も強くなってきた。大会の種目はフルとハーフ、それにフルのリレーとあって総勢で700人ほどの参加者だという。フルは300人といったところだ。当然スタートロスもなく、混戦もない。スタートの号砲が鳴るとみんな一斉に勢いよく飛び出していく。自分は早い方じゃないかと思っていたけどいきなり置いてけぼりをくった感じだ。

その後もどんどん抜かされて後方に追いやられていく。最初の1キロは5分16秒だからそれほど遅いわけではない。ようやく5キロを過ぎた辺りでエンジンがかかり始め、少しずつ前を捉えられるようになる。そうして迎えた10キロ過ぎの最初の急坂。まだ足に疲れがないせいか思ったほどに苦しまなかったが、だいぶ足への負担を感じた。下りもまたかなりの急坂で膝や首への負担が大きい。

何回かのアップダウンを終えてスタート地点の傍まで戻ってくると中間地点だ。実はその直前に大きなサプライズがあった。「まだ半分」と疲れ切った表情で前方を見た時に「ごいさん頑張れ」という横断幕が目に飛び込んできたのだ。同じような名前の人もいるものだと妙に感心しながら通り過ぎようとした時に小さく書かれた「いちご一笑」という文字に気がついた。「あっ!」と叫ぶのと同時に「ごいさん」という掛け声が返ってきた。そう、そのお二人はいちご一笑さんご夫妻だった。長崎にいるはずのお二人がなぜここに?あまりの衝撃で止まることも戻ることも忘れ、ただ手を振るだけで通り過ぎてしまった。でも確かにお二人からはたくさんの元気を頂いた。しばらくはその余韻に浸りながら走っていた。

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海岸沿いに出てからは小刻みにアップダウンが繰り返され、これがボディブローを受けているような感じなのか。向かい風も激しくてだんだん足が上がらなくなる。35キロを過ぎた辺りから後続のランナーが自分をどんどん抜かしていく。どうみても自分と同じか上ぐらいの人が懸命に走っている。最後のエイドを出るとあと2キロ。さすがにここからは休めない。

いつものように最後だけは格好をつけてフィニッシュ。タイムは3時間45分37秒。一息入れて着替え始めたところで放送が入った。なんと60歳以上の部で3位だという。大勢の前で表彰され、副賞まで頂いてしまった。最後に何人にも抜かされたのだが、彼らのほとんどはハーフのランナーだったことをこの時知った。

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終わってからは豪華バイキング料理でのおもてなし。お刺身、鯖寿司、唐揚げ、五島うどんにカレーライスなどなど。参加賞のTシャツ、五島うどんに完走タオルと、これで5,000円の参加料では大赤字じゃないかと思った。規模も大きくなく沿道の人も多いわけではないが、本当に応援は温かい。エイドの皆さんも雨の中をみんな一生懸命だった。この町を盛り上げたいという気持ちが十分に伝わってきた。

五島の皆さん、応援に、ボランティアに、本当にありがとう。お世話になりました。

 

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