釧路湿原マラソン ~ 思わぬ出会い ~

この前の日曜日に釧路湿原ラソンを走ってきた。敬愛しているカメキチさんご夫妻がこの湿原を旅された時の記事を読んでいつかこの地を訪ねてみたいと思っていたのと、この大会を走ることで最近のやる気のない体たらくから脱せないかと考えたからだ。それに釧路の7月の最高気温の平均が20度前後というから走るにもちょうどよいと思った。

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会場には8時少し前に着いたが、前日までと違ってだいぶ蒸し暑い。スタート直前に湿度が100%というアナウンスがされると、あちこちでどよめきが起きた。そんな重い気持ちを引きずりながら9時半の号砲を合図に走り出す。最初の5キロは25分45秒とまずまずの入り。ところが川沿いに出て太陽が時々顔を見せるようになると一気に汗が噴き出してきた。それでもこの10キロを52分06秒と予定よりも早いタイムで通過する。

ここから湿原の中を走るのだが、むせ返るようで実際の気温よりも高く感じられる。次の10キロを51分台と設定していたので若干スピードを上げようとするがすでに足が思うように動かない。どうにか折り返し地点までは懸命に走ったもののこの5キロは26分44秒かかった。頭の中ではここからは下り基調のはずなのだがそうは思えないほどにスピードが出ない。

そうこうしているうちに耳鳴りがしてきた。たいがい熱中症になりかけている時に起きる。大事を取ってさらにスピードダウン。のろのろ走ってやっとの思いで20キロ地点に到達。この10キロは54分31秒。エイドでいただいたスイカがとても美味しい。どうにか耳鳴りが収まってきたところで、今度は両足が攣り出した。少し走っては痙攣のために立ち止まる。その繰り返しが結局は最後まで続くことになった。

ようやくゴールのある競技場が遠くに見えてきた時だった。とぼとぼと走っていると追いついてきたランナーが自分と並ぶようにして走っているのに気がついた。ふっと横を見るとあのオレンジ色のはてブロシャツ。その時のごいさんは青色のはてブロシャツ。そして思わず目が合った。その人は「たけのこ」さんというはてブロランナーだった。その名前はどこかで聞き覚えがあった。彼もごいさんの名前を知ってくれていた。この時の驚きと感動、う~ん、言葉で表すのが難しい。

結局最後の10キロは1時間8分56秒かかり、トータル2時間55分33秒でフィニッシュ。結果は悔しいのだが、たけのこさんとたくさん話をして心がだいぶ癒された。それにもうちょっと頑張ってみようかという気持ちにもなった。初めて会ったのだけどそんな感じが全くしない。「はてブロランナーの絆、実に恐るべし」……だね。

たけのこさんもまた今までお会いした皆さんのようにとても爽やかな人だった。彼の次の大会は北海道マラソンだという。はてブロランナーも多数集結するようだからいろんな刺激をもらってきっといい走りができるだろう。彼の目標達成も時間の問題だと思う。いつかまたご一緒できるかな。たけのこさん、はてブロランナーの皆さん、北海道マラソン、頑張ってくださいね。応援しています。

最後になりましたが、沿道の皆さん、たくさんの高校生のボランティアの皆さん、温かい応援をありがとうございました。最後の方は頷くのが精一杯だったけどずっとありがたく思っていました。励まされました。本当にありがとうございました。

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友と語らう

先週の土曜日と日曜日に久しぶりに友だちと会った。土曜日は、自分が若い頃の同僚だったU田さん、健さん、O山さんの3人。U田さんは自分が28歳からのつき合いで、彼の結婚式にも参列させていただいた。一緒に同じ学年を3回受け持ったこともあって十分過ぎるほどに気心は知れている。細かいところを気にせず懐の深いのが彼の特徴。何を話しても頷きながらただただ聞いてくれる。多くを語らないが百人力の頼もしい友だ。

健さんは35歳の時に知り合った。同じ学年を2回ほど一緒に受け持った。いつも冷静で周りに気を配るのも忘れない。自分の意見を持ちながらも話をよく聞いてくれる。一緒の職場の時は機会あるごとに飲みに行った。彼の得意技は褒め上手。とにかくひたすら褒めるのだ。嘘だろうと思っても悪い気はしない。そうしていつの間にか元気が回復している。

O山さんはまだ現役で、4人の男の子の母親だ。いやもうみんな成人しているから男の子とは呼ばないか。小さい体だけどとてもパワフル。ポンポンと出てくる言葉は相変わらず威勢がいい。今は健さんと同じ職場で働いていて、それで今回の参加と相成ったようだ。みんな若い時の血気盛んな頃のごいさんをよく承知している。そんなごいさんを温かく見守ってくれた彼らだから今でも一緒にいて心地よい。

翌日の日曜日は、伊豆に住むI坂さんの所に出かけて行った。彼もまたかけがえのない友だ。彼とは2001年からのお付き合い。以来、とにかく二人でよく呑んだ。二人で焼酎ボトル3本を空けたり、横浜の中華店で真っ昼間から10時間近くも飲み続けたりと、その飲みっぷりはまさに豪快。今回は土産にとブログ友だちの「いちご一笑さん」に頂いた五島の芋焼酎を持って行った。

彼も聞き上手だ。同じ話を何度してもその度に初めて聞いたように感動してくれる。話し手が話しやすいように上手く乗せてくれる。定年の一年前にこの地に住むようになってからは、積極的に地元に飛び込んで今ではしっかり馴染んでいろんなつき合いを楽しんでいる。特にこれといった強い欲があるわけでなく無理をしない自然体で生きているというのがとても新鮮なのだ。

今回、会いましょうと声をかけたのは自分の方だった。ここのところ何事にもやる気が起きず、少々スランプ気味。英語の勉強はただ消化することに追われ、走る方もこの暑さでますますテンションが上がらない。自然とブログの方からも気持ちが遠のいている感じ。そんなことを考えていたら焦る気持ちがどんどん募ってきて、こりゃあ何とかせねばと思ったのだ。

みんなからいろんな話を聞いて彼らのしっかり生きている様を知ったら、解決の糸口が見つかったような気がした。今まではいつも誰かの期待に応えようとしてきた。でも、今は自分のことだけを考えればいい。だからそんなに無理をする必要はない……って、今さらだけどそんなことが少しだけ分かったような気がしたのだ。心がずいぶん楽になった。

 

養魚場で焼いてもらった鮎の塩焼き。I坂さんと二人で二尾ずつ食べた。f:id:goisan:20180716110222j:plain

 

今年もつくばマラソン走ります

3月の三浦マラソンの反省会でラン仲間のS田さん、Y村さんと話をしていた時は、今年のつくばマラソンは走る気満々だった。それが神戸マラソンに当選したことでさてどうしたものかと考え始めた。神戸は11月18日、つくばは翌週の25日と2週続けてのフルマラソンになる。普通に考えればさすがに無理でしょうということになるのだろうけれど、実はこのつくばでは過去に2度ほど2週続けてのフルマラソンを経験している。

3年前は初めての開催となった金沢マラソンを走った後の翌週にこのつくばを走って当時の自己ベストを出した。そして一昨年は岡山マラソンの後にこのつくばでサブ3.5を達成。サブ4を初めて達成したのもこのつくば。走り易いのはもちろんだが自分にとっては何かと相性の良い大会だと思っている。お祭り好きのごいさんからすればずいぶん質素な大会だけど、その分、レースに集中できているのかもしれない。

ただ去年からずいぶんとモチベーションが下がっているのと年齢的なことを考えたらさすがに今年は2週続けては無理だと考えた。そういうのが頭にあったからエントリーの日のことも頭からすっかり抜けていてエントリーの始まった時間はしっかり湯船の中にいた。風呂から出て少ししてからこのエントリーを思い出したので、ともあれランネットにアクセスしてみたらさすがに締め切られていた。相変わらず早いなあなどと思ったものの残念という気持ちは起こらなかった。

その後でいつものように皆さんのブログを巡りメールのチェック。その中にスポーツエントリーのメールがあって、こちらではつくばのエントリーはどうなっているのだろうとアクセスしてみたら、これがなんとまだ受付け中だった。これを見て、偶然とは言えこれは天からのお達しかもしれないと思ってしまった。なんとも都合のいい判断だ。まあ調子が悪ければDNSもしょうがないと逃げ口を用意して申し込むことにした。

考えてみれば、これで昨年お会いできなかったブログ仲間のたまうきさんにもお会いできるかもしれない。そう思ったら、こうして参加申し込みができたことはなんとも幸運なことだった。とまあ、これで年内の大会はほぼ埋まった。10月に弘前アップルマラソンと千葉アクワラインマラソン。11月に神戸マラソンつくばマラソン、そして12月は奈良マラソン。一応本命のレースは神戸かつくばで、目標タイムは3時間30分台と言ったところ。

なぜこんなに走るのと言われても困るのだけど、いつも申し込む時はさっそうとゴールする自分を夢見ていて、今度こそ正夢になるんじゃないかと信じてしまう。それよりも申し込んだ後で、宿を取ったり交通の予約を入れたりとそんなことを考えている時がとても楽しいからかもしれない。当日42キロを走ることなんてさっさと忘れて浮かれている。

それが大会の前日あたりになると「なんで申し込んだんだろう」って、もう後悔の念しかない。毎回同じことが繰り返され、そしていつもくたくたしてのゴールイン。なのになぜ走るんだろう……ね。

 

まだ2年前。今はこのペースで走れない。I'm very sad.f:id:goisan:20180712232956j:plain

 

父の日と父の命日

今月24日は父の42回目の命日だった。父が亡くなった時、涙が溢れてきて長い時間止まらなかった。それがどうしてだったのか今でもその時の気持ちは分からないままだ。その頃の自分は父親の存在なんて気にもしていなかった。それがしばらくの間は何度も夢の中に登場した。帰ってきた父を見てお帰りなさいと言っている自分。夢が現実と思えるほどに鮮明で、父が死んだとはなかなか思えなかった。

年を取るごとに、心の中で父の存在が大きくなっているのを感じている。子どもの頃の自分を父はいったいどんな思いで見ていたのか。自分の子供たちと接するたびに、そんなことをよく考える。稼いだ金はすぐに使ってしまうし酒を飲んで暴れることもたびたびだった。自分にとっても家族にとっても決していい父ではなかったし、父親自身も嫌われていることを承知していた。そんな父はその頃どんな思いでいたのだろう。

それがある時から突然本を読むようになった。尋常小学校しか出ていなくて本を読むのは簡単なことではなかったはずだ。確か推理小説の類だったように記憶しているが、その読む頻度はかなりのものだった。突然の変化に少し驚いたけれどどうしてと問うことはしなかった。それまでの自分を変えたかったのかと考えたりもするけど本当のところはまるで分らない。

子供の頃の父は強くてただただ怖い存在だった。簡単に口をきくこともできない。でも今父をはるかに超える長い人生を歩いてきて、父は本当に強かったのか、そんな疑問を抱いている。残された写真に写っている父の笑顔にその怖さは微塵もない。遊園地に何度も連れて行ってもらい、たまには食堂でご馳走を食べた。その時の父はどんな気持ちで子供の頃の自分を見ていたのだろうと思う。

この前の父の日に上の子からプレゼントが届いた。きっとお嫁さんが気を遣ってくれたのだろうけれど、ありがたいと思う。今の自分はやりたいこともやって父に比べて十分過ぎるほどに幸せだ。自分は一度もそんなことを父にしなかった。家を買ってすぐの半年後に父は何も語らずに逝ってしまった。それから42年、父はどれくらい幸せを感じていたのか、ずっと考えている。

だから思うのだ。自分の気持ちはちゃんと子供たちに伝えておきたいと。このブログを始めたのもそれが一つの目的だ。でもやっぱり直接話しておきたいって最近思う。昔のホームドラマの会話のように近くの居酒屋で一杯飲みながら……なんてね。昔、子供から言われたことがあるんだ。「酔っている時の父さんが一番いい。」って。だから誘えばきっとつき合ってくれる……かな。

6月の父の命日は父としての自分のあり方を振り返る日でもある。もう子供たちは十分に大きくて、父親としての存在価値はだいぶ小さくなっただろうけれど、でも生きている限りは頼られる父親でありたいと思うのだ。さてさて、一緒に酒を飲む時にどんな話をしようかな。

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ワールドカップ・ロシア大会始まる

待ちに待ったワールドカップが開幕した。そしていきなりのスペインとポルトガルの一戦に酔う。ラストのあのロナウドフリーキックは正に芸術的だった。あそこで決められるという精神力が凄い。他にも優勝候補のドイツがメキシコに敗れ、ブラジルもスイスと引分け、アルゼンチンもメッシがPKを外して勝ちを逃すなど、どの試合も迫力のある凄い戦いになっている。昔のように毎日朝方までというわけにはいかないけどついつい見てしまう。

さて日本の試合も迫ってきた。直前になっての監督交代で落ち着きを失った感じのオールジャパン。自分もハリルの戦術に不満がなかったわけじゃないけど、正直この時期の監督交代はどうなのか。しかもその理由も今一つ。西野監督に代わってどう変わるのか、変われるのか見当もつかない。その後の強化試合を見ていても点が取れる気がしない。

本田、岡崎、香川と代表から外れていたメンバーが戻ってきたが今さらという感じがする。残念ながら本田にはもう南アフリカの時のような勢いはない。プレー自体が遅く彼の所で流れが止まってしまう。それがハリルの戦術にも合わなかったのだと思う。怪我で実践から遠ざかっていた岡崎や香川を使うのもどうか。ただ最後の強化試合となったパラグァイ戦で、香川に昔のような切れのある動きが見られたのが若干の光明と思いたい。

サッカー関係のいろんな記事を見ても日本の予選リーグ突破は難しいと書いてある。FIFAランキングから見てポーランド、コロンビア、セネガルの三つ巴の勝負で、結局は日本戦での勝ち方が予選突破の鍵だろうということだ。となればどのチームも日本には全力で向かってくる。しかもそれぞれに個人技に優れるスーパースターを擁しているから相当に厳しい戦いになる。

力はすべて相手が上。横パスばかりを通してもたもたしていたらかっさらわれて失点するか、そうでなくても得点するチャンスは作れない。相手に先制を許せば逆転は不可能に近い。そんな中でごいさんの期待している一押しの選手は柴崎だ。前がかりになってくる相手の隙を突いて大迫、乾、原口あたりにうまい縦パスが出せれば得点することも十分可能だと思う。逆に先制点を挙げることができれば相手の焦りを誘い勝利することも決して夢ではない。

リオから4年。ハリルの解任で今の日本にはこれといった戦術があるようには思えない。旧態然としたパス回しでは突破口は開けないのは明らかだ。ハリルも言っていたがチャンスと見たら少しでも早く相手ゴールに向かう。それと大迫、乾、原口、香川と言ったオフェンスの選手は積極的に相手ディフェンダーに挑んでほしい。相手を一人かわせば得点チャンスも増える。そしてシュートを打つ。シュートを打たなければ点は入らない。

劣勢な中にも必ず何度かのチャンスはやってくる。しっかり守りながら先制点をもぎ取ることが勝ち点を挙げる唯一の方法だ。間もなく始まるコロンビア戦、何としてでも勝ち点を取りに行く。ここまで来たらやるしかない。頑張れニッポン!

 

誕生日にクラスの子たちから贈られた寄書き入りのサッカーボール。この頃はまだ現役の選手だった。f:id:goisan:20180619164150j:plain

 

パパの入院

先日パパが入院した。この「パパ」とは妹の旦那さんのこと。いつ頃からかはっきりしないけど妹がパパと言っているのを何度も聞いているうちにそれが自分にとっても彼の代名詞になってしまった。そのパパが入院して手術を受けることになった。5月25日金曜日の朝に妹から電話がかかってきた。めったにかかってこない電話だけに初めは母に何か起きたのかと思ったのだが、実はパパが昨夜から激しい痛みを訴えて救急車で運ばれ入院したという。

パパが入院するのは今度で4回目になる。入院してすぐに見舞いに行った時は、けっこうショックなようでだいぶ落ち込んでいた。自分の不甲斐なさを嘆いていた。こればかりはしょうがないよと慰めるのだがなかなか元気にならない。それでも2日ほどおいて2回目のお見舞いに行った時は、だいぶ落ち着いたようで顔色も良くなっていて安心した。

普通ならすぐにでも手術なのだろうけれど、パパは10年ほど前に心筋梗塞の恐れがあって心臓の血管を広げるという手術をやった。それからずっと血液を固めないための薬を飲んでいるのだが、その関係で1週間ほど様子を見てから手術になるという。そいうことで手術が行なわれたのは1週間後の6月1日だった。手術そのものは簡単で短時間で無事に終わり、その後の痛みもないようだった。

手術後の帰りに妹がお昼をおごるから食べて行けという。食べたいのを決めて頼もうとすると「遠慮しないでもっと高いのにしろ。」という。そんな会話をしていると妹がどれくらい喜んでいるかがよく分かる。それは妹がどれだけ不安で緊張していたかという証しなのだと思った。妹は結婚と同時に会社を辞めて専業主婦となった。働いてばかりの母親を見ていてそれは妹の憧れだったに違いない。そしてそれからはずっとパパに頼ってきた人生だったから。

少しだけ昔を振り返ると、実はパパとは結婚式当日まで会っていない。憎んでいたとは大げさだが多分に彼のことを嫌っていた。結婚して妹を連れ去ってしまうそんな思いと、家に来ては父親と楽しそうに酒を飲んでいるのが気に入らなかった。それが初めての孫ができる直前に父が亡くなり自分がその代わりを果たすことになって、いつまでも子供のような気持ちではいられなくなった。

いざ彼と話をしてみると、お互いに打ち解けるのは実にあっけなかった。それからは父に代わって二人でよく酒を飲むようになった。同い年だから話もよく合った。パパはごいさんのことをあんちゃんと呼ぶ。それは妹が小さい頃からずっとそう呼んでいるから。では自分はどう呼べばいいのか。そこで妹の言いようを真似してパパと呼ぶようになったのだと思う。

パパは妹のために一生懸命に働いてきた。「自分には働くしか能がないから」と言うけど、そんなことはない。会社では、上司からも部下からも信頼され人気もある。自分もずいぶんと助けられてきた。傍にいるだけで安心できる、そんな素晴らしい人間性の持ち主なのだ。そんなパパを見つけて一緒に歩んできた妹は、だからずっと幸せだった。

6月11日月曜日、パパは元気に退院した。

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さくらんぼマラソン

3日の日曜日に山形の東根で行われた「さくらんぼマラソン大会」に参加してきた。また出かけたのかって思うよね。でも今回この大会に参加した目的は、昨年のニューヨークマラソンで知り合ったS井さんと再会することだった。連絡を取ったら一緒に走ろうということになったのだけど、大会が近づいてきてこの日は仕事で横浜まで出かけることになったという。

そんなわけで再会は先延ばしとなってしまったが、評判の高いこの大会を一度は走ってみたいということで出かけてきたのだ。山形駅5時53分発の電車に乗って、会場の自衛隊駐屯地には7時前に到着した。すでに真っ青な空に太陽が煌々と輝いている。どうやら相当に暑くなりそう。それでも今日はハーフ。多少気は楽だ。f:id:goisan:20180603065930j:plain

ハーフの参加者は6,000人ほどで、ごいさんはA~GのEブロックでのスタート。ゲストには、瀬古さん、金さん、千葉真子さん、荻原次晴さんと豪華な顔ぶれ。露店もたくさんあって、会場は盛大に盛り上がっている。そんな中、8時50分にスタートの号砲が鳴る。この時の気温は22度ぐらいだったろうか。そしてゴールする頃には27~8度ぐらい。カンカン照りということもあって体感温度は30℃を超えている感じだった。f:id:goisan:20180603083555j:plain

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スタートして3キロぐらい走った頃だろうか、子供たちがずらっと並んでの応援が始まった。大きな声で声援をくれるたびにハイタッチをしては「ありがとう」を連呼する。これが延々と続く。それにたくさんの町の人たちも加わっての応援は本当に迫力があった。まさに町をあげての応援という感じだった。

さくらんぼ農園を回っている時も農家の方たちが顔を出してくれ、さくらんぼの差し入れもしてくれた。エイドの数も多く、スポンジはもちろん冷たいタオルまであった。お目当てのさくらんぼは5個だったけど、他にもリンゴジュースやゼリー、それにケーキにラッキョウといただいて、自分にしては珍しいくらいにエイドも楽しんだ。

さてコースの方はというと、前半の10キロまでが上り基調でそれから下りとなり最後にちょっと上ってフィニッシュを迎えるといった感じだ。暑くなることを考えて前半はキロ5分10秒前後と抑え気味。後半に入って下りを利用して一気にペースを上げる。最後までもつ自信はなかったがとりあえずトライだ。白い雪を残した遠くの山々が時々涼しさを運んでくれる。結局、前半を54分11秒、後半を52分20秒の合計1時間46分31秒でフィニッシュ。

うわさ通りの素晴らしい大会だった。役員の方やボランティアの皆さんはもちろん応援の人たちもみんなでこの大会を作っているんだというそんな熱い思いがひしひしと伝わってきた。自分としては後半も元気に走れて最後まで皆さんの声援に応えられたのが何より嬉しい。東根の皆さん、本当にありがとうございました。楽しかったです。

山形のS井さん、来年こそはぜひ一緒に走りましょうね。そしてはてブロランナーのもやしさん、ちょびさん、今度またどこかの大会でお会いしましょう。楽しみにしています。

 

帰りの新幹線までの時間を使って山寺(立石寺)を再訪。f:id:goisan:20180603143849j:plain

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