友の死

友が亡くなった。この前の日曜日、それを伝えるメールが送られてきた。テニス仲間のY本さんが急性心不全で亡くなったという。その時の思い、なんと書いたら伝わるだろう。「えっ、なんで?」つい2週間前に一緒にテニスをやったばかりだ。小雨が降っていたけど、5人ほど集まってダブルスの試合をした。動きも良くて、ボレーもバシバシ決めてあんなに調子が良かったのに。

雨が強くなって止めることになった時も、それでもまだやりたそうな顔をしていた。それくらいに体調もよく、もちろん病気をしていたわけでもない。ごいさんより2~3歳年上だけどまだまだ若い。今は、週に2度ほど他の仲間とテニスを楽しみ、後は好きな読書だ。そして、今の安部政権を危惧し、時々国会議事堂にまで出向いたり新聞社に投稿したりもしている。そんなけっこう忙しい毎日を送っている。そして充実していたと思う。

ごいさんが以前の職場で同僚だったI山さんとT次さんに誘われてこのテニスの会に入ったのが4年前。その仲間はみんな彼らの昔の同僚だった。みんなテニス部の顧問として生徒を指導していたから当然テニスは上手だ。どうやっても歯が立たないのだけど、みんなすぐに仲間として招き入れてくれた。そこでY本さんと出会った。自分がその輪に溶け込みやすいようにと気を遣って何かと語りかけてくれた。

彼は英語の先生。でも大学は確か電気学科だった。どうして英語の先生になったのだろう。今まで聞こうとも思わなかったけど、なんか急に聞いてみたくなった。コートの抽選の関係でこの仲間に会えるのはだいたい月に1回の割合だった。テニスをするのはもちろん楽しいのだけれど、それが終わった後にみんなで食事をするのがもっと楽しい。約2時間。政治の話、読んだ本の紹介、もちろんテニスの話。ごいさんに絡んでのマラソンの話などなど切りがない。

Y本さんを友人と書いたけど、気持ち的にはちょっと上の兄さんっていう存在かな。ごいさんに語りかけて来る感じがそんな優しさを持っている。どんなことでもあの熱く語る口調は万年青年のようだ。彼からいろんな話が聞けるのが楽しみだった。まだまだ聞きたいことがたくさんあったし、彼だってまだまだ話すことがたくさんあった。

彼は亡くなる前日に調子が悪くて病院に行ったそうだが何ともないと言われたそうだ。そうして床に就いてその翌日には眠っているように亡くなっていたという。その顔に苦しんだ表情はなかったという。えっ、人ってそんな簡単に死んじゃうのか。病気なんかなかったし、誰よりも元気だったのに。まだ受け入れられない。だって、「じゃあ、また。」とあいさつを交わした彼の顔が眼前にあるのだから。

明日はお通夜だ。彼に会うのは3週間ぶり。なんて声をかけよう…。

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 明後日のアクアラインラソンは膝の不調のため棄権することにしました。いつも応援していただいている皆さん、ごめんなさい。次の大会で頑張ります。そして、走られる皆さんの健闘を祈っています。

 

弘前・白神アップルマラソン大会、中止

7日の日曜日に行われる予定だった弘前・白神アップルマラソン大会は台風25号がやってくるというので中止になった。24号に続いてかなり強い台風が太平洋上に発生したという情報が入ってから、ずっとその進路については気にしていたのだが、最初の予定から台風のスピードが上がってちょうど大会当日あたりに青森地方を通過するという予想が出てきた。

水曜日なってこれではさすがに厳しいかとそんな思いを感じながらホームページにアクセスすると、ただ今検討中で木曜日中には結論を出したいと書いてあった。木曜日になって昼過ぎに再度チェックしてみると新着情報の欄に中止になったことが書かれてあった。北海道や岩手で開かれる大会も中止になったのを考えれば妥当な判断だったと思う。

温帯性低気圧に変わって勢力は弱まる可能性もあるけれど、前後しての準備や片づけ等、ボランティの人たちの負担は相当なものだ。昨年のしまだ大井川の大会ではボランティアの人たちがびしょ濡れになりながらしかも足元を泥だらけにして頑張っていたのを思い出す。こういう人たちに支えてもらっていることを考えれば、今回の中止はやむを得ないことだと思う。もちろん走る側からすれば簡単には諦められないのも当然とは思うけど。

それにしてもずっとホームページを気にしていたのだけど、ホームページの向こうで行われているだろう話し合いが見えるような感じだった。簡単には諦めない、そんな彼らの熱い思いが伝わってくるようだった。これまでに相当な準備をしてきた。それがすべて水の泡となってしまうのだからね。前夜祭にも下見コース見学ツアーにも参加する予定だった。当然だがそれらについても準備を進めてくれていたはずだ。

ホームページに記載されたのはわずかな文章だが、そこには彼らの無念な気持ちがにじんでいるように思えた。木曜日に結論を出してくれたおかげで、宿のキャンセル料も発生せず電車の代金も取り消し手数料のわずかな分だけで済んだから、それについても本当にありがたかった。今頃は悔しさに耐えてランナーに参加賞を郵送するための準備を続けていることだろう。

アップルマラソン大会関係の皆さま、ボランティアの皆さま、今回は本当に残念でした。その心中心よりお察し申し上げます。来年の大会には改めて参加させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

とまあそんなわけで一昨日と昨日で合計50キロ弱をのんびりと走ってみた。いや、速く走れる気がまったくしない。不安だらけで迎えている今シーズン、どうなることやら。

 

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しょうがない

「しょうがない」という言葉、皆さんはどれくらい口にするだろうか。ごいさんはしょっちゅうだ。困ったり落ち込んだりした時の自分を慰めるにはもってこいの言葉だと思っている。この言葉をつぶやくと不思議と心が休まる。でも同時に自分を甘えさせようとする誘惑の言葉でもあるのだ。だから好きだとばかりも言っていられないのだけれど。

試合に負けて落ち込んでいる時、「しょうがないよ。相手が強すぎた。運がなかった。」何かをやり終えて結果を待つ時も「しょうがないよ。全ては終わったのだから。今さらどうしようもない。」マラソンで撃沈した時も「しょうがない。今日は気温が高かった。体調が悪かった。」昔、生徒を叱って後味の悪い思いをしている時も「生徒が悪いことをしたから叱ったのだ。しょうがないことだ。」などなど。

これだけ並べてみると、どちらかというと自分を正当化するためにある言葉のように思える。この言葉を唱えるだけでまるで自分の責任はそこにはなかったように感じられる。そして不安が取り除かれ心に安らぎが戻る。それこそがこの言葉の落とし穴で、それでは次への進歩は生まれない。自分を甘えさせるだけなのだ。だから闇雲に使うことにはくれぐれも気をつけなければならない。

でも自分はこの言葉を気に入っていて何かあるとたいがい最後はこの「しょうがない」で締めくくる。もちろん上に書いたような安直にではない。決して相手のせいにするのではなく、「練習を真剣にやっていたか。暑い日でもちゃんと走っていたか。生徒のことをちゃんと考えたか。」と自問し、その上で納得出来たら「しょうがない。全力は尽くしたのだ。」もし否だったら「しょうがない。自分の努力が足りなかった。明日からもっと頑張ろう。」とまあこんな感じ。

年を取ってこの言葉を使う機会がますます増えたように思う。ブログが書けない。「しょうがない。なんだかんだと忙しいんだから。」マラソンのタイムが伸びない。英語が覚えられない。「しょうがない。年なんだから。」あ~あ、自分をかばうように使うようになっちゃいけないね。

思わずこの言葉をつぶやきそうになった時にちょっとだけ考える。本当にしょうがないの? やるだけのこと、やった? 最善は尽くした? そのうえで「しょうがない」ってつぶやく。安心感を得られると同時に次の課題も見えてくるというわけだ。「しょうがない」という言葉は心を癒してくれる魔法の呪文のよう。でもそれに甘え過ぎると進歩が止まる。それを十分に踏まえて使うならきっと最良の癒しの言葉になる、そう信じる。

いつものように最後はまとまりがなくなってしまった。けれど、書いた内容は皆さんもよくご存じのことだから何となく伝わるかな。この前から気になっていたのでちょっと整理してみたかったのです。

 

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中秋の名月

少し記事が古くなってしまったけれど……。

24日は中秋の名月だった。もっとも満月は25日ということだから正真正銘のまん丸じゃない。でもたかだかの一日違い。人間の優れた目をもってすれば満月にしか見えない。こうしてお月さんを見上げるなんていつ以来だろう。ブログを書き始めた頃は、あちらこちらの記事で月や星の話題が取り上げられて賑わっていた。自分も遅れちゃいけないなんて思って真似をして記事を書いたりしていた。だからあの頃は毎日のようにカメラを持っては夜空を見上げていた。

もともと月や星を眺めることは好きだった。目を凝らしてはたくさんの星を見つけ出していく。目が暗さに慣れてくると見える星の数がどんどん増えてくるのだ。そしてはるか遠くにあるだろうその星に向かって飛んでいるロケットに乗っている自分を想像する。子供ならきっと誰もが親しみを覚えるお月さん。それがアポロの月面着陸で、近い将来誰でも月に行くことが可能になる、そう思って宇宙飛行士になることを夢見たのは高校2年の時だった。

中学生の頃はSF小説を読み漁った。だからずっとずっと空飛ぶ円盤や宇宙人の存在を信じていた。アポロ11号が月面着陸した時はテレビの画面を食い入るように見つめていた。でもその画面には生物らしき物体は現れなかった。もしかしたら…という思いは現実にはならなかった。まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど。火星や金星も無理。太陽系にはいないみたい。でもきっとずっとずっと遠いどこかの星に知的生物は存在する、自分は今でもそう信じている。

満月の25日はあいにくの雨だったから、満月ではなかったとはいえ中秋の名月を見られたのは大正解だった。やっぱりお月さんはまん丸なのが一番いい。でもあの満ち欠けも大きな魅力だね。三日月もいい。半月だって悪くない。月の明かりの感じ方もいろいろだ。全てはその時の自分の気持ちのあり様なのだと思うけど。この日のお月さんは明るく優しい感じ。ホッとするような、そんな思いがした。

もし月がなかったら、どれほどに味気ないことだろう。惑星によっては月が何個もあるところがあるけれど多過ぎるのもなんだかね。2つあったらついつい比較しちゃいそうだ。やっぱり1個だからいいんだね。そして大切に思える。これからの秋の夜長、お月さんと向き合っていろんなことを語ってみるのも面白いかもしれない。なんてったって長い経験のある、きっと一番のカウンセラーだと思うから。

もちろんいつものようにお彼岸の墓参りにも行ってきた。母は風邪気味で無理はさせたくなかったが、どうしても行きたいというので連れて行った。何もしないからと言うので連れて行ったのだけど、着いたら早速にお墓の掃除を始めた。草をむしっている後ろ姿はやっぱり少し年を取ったのかな。今年は風邪のせいでいつものおはぎは作れなかったようだ。それも寂しく感じた理由かもしれない。とまあ、そんなこんなで秋のお彼岸も無事に終了。

 

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ブログの散歩 第17話 ~ ごいさんの気まぐれブログ ~

まだ気温は30度を超える日もあるのだが、もう夏の暑さとはだいぶ違う。湿度が低くなったせいだろうか、風がなんとも心地良い。空を見上げると夏の空というより秋の空。その心地良い風に誘われて走ってみると、これがどうしてどうしてなかなか暑い。すぐさまにシャツとパンツが汗でびしょびしょになる。そして止めとけばよかった、秋の気配にだまされたと後悔している。

さてそうは言っても確実に秋は近づいていて、これからは何をするにも絶好の季節になる。走るのも、学ぶのも、静かな夜長に音楽を聴くのもすべてよし。一年の中で最も気持ちの落ち着く時期だね。のはずなんだけど、どうにも今年はバテ気味。ヤル気がないわけではないのだけど集中力が続かない。英語は毎日のノルマだけはこなしているけどそれだけという感じだし、走る方も来月からのシーズン入りを控えて義務的に走っているといった具合。

何だかここに来て急に老け込んだ気がしている。全体的に自分に甘くなっている。その象徴がブログだ。書けるだけの時間はあるだろうに、一番手を抜けるのがこれだ。最初の頃、毎日のようにカメラを持っては外を歩き回って何か記事になるようなネタはないかと探していたのが懐かしい。伊豆に住む友だちもそうだけど定期的にきちんと書いている人のを見ては凄いと感心する。

今はどちらかというと皆さんの記事を読んでいる方が楽しい。何が楽しいかというと、記事を読みながら皆さんのことをあれこれ想像することだ。何人かの方はお会いしているからそのお顔とともにそのブログを楽しむことができる。より具体的で面と向かって話してもらっている感じで、もはや想像の世界ではない。

それでもたいがいの方は何も知らないわけだから想像するのも無限大だ。どんな気持ちでこれを書いたのだろう。どういう所でこの文案を考えているのか。これを書くのにどれくらいの時間を使ったか。そしてこれを読む人にどんなことを思ってもらいたいのかとかね。読めば読むほどに味わいがある。長く読んでいるとその人の一定のイメージが出来上がる。そうしてまた新たな記事を読む時、その人の新しい一面を見つけたり、いかにもその人らしいと思ったりと。これはこれで大いに楽しいのだ。

さてそこでごいさんはと言えばこのところ手を抜き過ぎている。もともと気が向いた時に好きなだけ書けばいいと宣言して始めたブログだからこうなることは最初から予期していたわけだ。それこそがごいさんの性格で、自分が一番よく知っている。だからといってあまりに更新しなくて「もう読者止めた~」って去られるのも今は悲しく思う。これは想定外の感情だ。今はもう少し頑張らなければと思う。

そういうことでごいさんの気まぐれブログ、まことにいい加減で申しわけないけれど、これからもよろしくお付き合いください。

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夏休みの終わりに

8月ももう30日。今週の月曜日から高校や中学校では学校が始まった。夏休み、終わってしまったんだね。早いなあ。もっとも働いていないごいさんにとってはふだんと変わらない日々だったけど。自分が学生の時はもちろん、先生になってからも生徒と同じように夏休みが来るのが待ち遠しかった。部活の指導があったり夏季講習があったりしてそうそう休めるわけではなかったけれど、それでもいつもの日常とは違った感じがあった。

働くのを辞めて2度目の夏。もうそんなワクワク感もない、いつもと変わらぬ日々だった。そんな中で記録しておきたい出来事が2つ。一つ目はサッカー部だった子たちの集まりに出席したこと。自分がサッカーをやっていたこともあって、先生になってから退職するまでずっとサッカー部の顧問を担当してきた。今回声をかけてくれたのは平成4年から6年にかけて卒業した子たちだ。マネージャーの子も含めて10人が集まった。

ごいさんはこういう教え子の集まりがあまり好きではない。どうしても昔の話が中心になる。前にも書いたが、自分の教員人生、いつも全力でやってきた。だからやり残したことも後悔することもない。でも完ぺきではない。今ならこうできる、ふとそんなこと考える時がある。後悔はしていないが満足はしていないのだ。そんなことを思う時、生徒に混じって昔のことを思い出したいとは思わないのだ。

それでも最近そういう会に顔を出すようになったのは、今の自分を見てもらいたいから。マラソンをしたり英語を学んだりしている新しい自分を知ってもらいたいからだ。彼らに何かを伝えたいということではない。ただ、これから50代、60代を迎える彼らにとってちょっとでも刺激にならないかってね。余計なお世話かも。でも、染み付いた先生の気質、そう簡単には抜けないみたいだ。

もう一つは25日のテーネンジャーの集い。同じ職場で退職した8人でその後も年に2~3回定期的に集まっている。今回はA美さんが自転車レースと重なり欠席したが、他の皆さんはこの日をとても楽しみに待っておられたようだ。こういうのって幹事として本当に嬉しい。やりがいを感じる。今回はE藤先生行きつけの居酒屋で軽く宴会をした後、彼の家の屋上で花火を鑑賞するという企画。

時にオープンカーを借りて海岸線をぶっ飛ばすH野さん。毎土曜日はゴルフ三昧のK上さん、高尾山のガイドを目指して研修に励むU門さん、最近ピアノ教室に通い出したE藤さん、まだバリバリ現役のN宮さん、それにシャンソンを歌ったりジムに通ったりと毎日忙しいK手さん、そして自転車、トライアスロンのA美さん。みんなみんな輝いている。

現役の時は立場も担当教科も全然違ってお付き合いしたという感じがほとんどない。それが定年を一緒に迎えたということで意気投合、以来お付き合いが続いている。そういう点ではまだまだ新鮮な関係。それに同い年だけに参考になる話も多い。きっとこれからも楽しくて頼もしい仲間たちでいてくれるだろう。

最後に北海道マラソンを走ったはてブロランナーの皆さん、お疲れ様でした。夏休みの最後を皆さんのレポートで存分に楽しませていただきました。みんな、ナイスラン!!

 

サッカー部の教え子たちからもらった花束。遅ればせの退職祝い。f:id:goisan:20180812000304j:plain

 

新しい扇風機

今年の夏は本当に暑い。働いていないごいさんは昼間はたいてい家に居るのだが、たまに外に行くとお湯の中を歩いているそんな感じだ。水道の水もぬるま湯状態でもはや水とは呼べない。そんな中、一昨年あたりから不調になっていた扇風機がとうとうまったく動かなくなってしまった。部屋にはエアコンがあるから十分なのだが、あのひんやりとした空気のどんより淀んだ感じがどうにも好きになれない。体全体が冷えてしまうのだ。

早速に新しいのを購入しようと近くの家電量販店に行ってみたら、入ってすぐのところでいきなり赤い大きな文字で「セール」と書かれた1,980円の扇風機が目に飛び込んできた。これは安い。周りを見まわしたら5,000円前後は当たり前。これにしようと気持ちは決まったのだが、ここですぐに買わないのがごいさんの性格。一時の勢いではなく、家に帰って気持ちの落ち着いたところで決めたいのだ。

と言ったって、もうそれにすることはほぼ決まっている。たいていの場合、すぐに買うのが何となく嫌なだけなのだ。それで2日ほどして改めて出かけて行ったらすでに売り切れていた。もうそこには5,000円前後のものしかない。当たり前だよね、だからセールなんだもの。こういうことって何度もやって承知しているはずなのに相変わらず懲りない。慌てて他の店にあたったけど見つからなかった。そして悲しく思うのもいつものことだ。

それがこの前たまたま食材の購入で立ち寄ったイオンの電化製品売り場に1,980円の扇風機が置いてあったのだ。それも3種類も。もちろん今日はそれを目当てに来たわけではないけど、ここで会ったが百年目、今日こそ逃すわけにはいかない。そうして3種類から1つを選ぶ作業に入ったのだが、みんな似たり寄ったりでどれを買っても同じだろうにあまり違いが分からない。結局、3種類から1つを選ぶのに10分余りも迷って、そして選んだのが下の写真の扇風機。

ようやく当初の目的が達せられた。思わず笑みがこぼれてくる。何が嬉しいんだか自分でもよく分かっていないのだが、でも確かに満足感と幸せな気分を味わっていたのは確かだ。家に帰って早速に組み立て、そしてスイッチを入れる。静かに回転が始まる。そうして生ぬるい風が送られてきた。8月になってやっと購入した扇風機。でも今年の夏は長くなりそうだから、まだまだ活躍が期待できるだろう。

さてさて、なんでこのぐらいのことで記事を書いているのか、書くことがないからか。う~ん、確かに。とは思うのだけど、ちょっとだけ理由をつければ、こんな些細なことで幸せな気持ちになれたのって久しぶり。子供の時に欲しいものをやっと買ってもらったような気持ちだ。そんな気持ちがこんな年になった自分にも残っているんだなあと思ったらほっこりしてきて、そんな思いを書き留めたかった……というところかな。

何も余分なものはついてないけど、シンプル・イズ・ベスト。ごいさんの良き相棒になってくれそうだ。

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