中秋の名月

少し記事が古くなってしまったけれど……。

24日は中秋の名月だった。もっとも満月は25日ということだから正真正銘のまん丸じゃない。でもたかだかの一日違い。人間の優れた目をもってすれば満月にしか見えない。こうしてお月さんを見上げるなんていつ以来だろう。ブログを書き始めた頃は、あちらこちらの記事で月や星の話題が取り上げられて賑わっていた。自分も遅れちゃいけないなんて思って真似をして記事を書いたりしていた。だからあの頃は毎日のようにカメラを持っては夜空を見上げていた。

もともと月や星を眺めることは好きだった。目を凝らしてはたくさんの星を見つけ出していく。目が暗さに慣れてくると見える星の数がどんどん増えてくるのだ。そしてはるか遠くにあるだろうその星に向かって飛んでいるロケットに乗っている自分を想像する。子供ならきっと誰もが親しみを覚えるお月さん。それがアポロの月面着陸で、近い将来誰でも月に行くことが可能になる、そう思って宇宙飛行士になることを夢見たのは高校2年の時だった。

中学生の頃はSF小説を読み漁った。だからずっとずっと空飛ぶ円盤や宇宙人の存在を信じていた。アポロ11号が月面着陸した時はテレビの画面を食い入るように見つめていた。でもその画面には生物らしき物体は現れなかった。もしかしたら…という思いは現実にはならなかった。まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど。火星や金星も無理。太陽系にはいないみたい。でもきっとずっとずっと遠いどこかの星に知的生物は存在する、自分は今でもそう信じている。

満月の25日はあいにくの雨だったから、満月ではなかったとはいえ中秋の名月を見られたのは大正解だった。やっぱりお月さんはまん丸なのが一番いい。でもあの満ち欠けも大きな魅力だね。三日月もいい。半月だって悪くない。月の明かりの感じ方もいろいろだ。全てはその時の自分の気持ちのあり様なのだと思うけど。この日のお月さんは明るく優しい感じ。ホッとするような、そんな思いがした。

もし月がなかったら、どれほどに味気ないことだろう。惑星によっては月が何個もあるところがあるけれど多過ぎるのもなんだかね。2つあったらついつい比較しちゃいそうだ。やっぱり1個だからいいんだね。そして大切に思える。これからの秋の夜長、お月さんと向き合っていろんなことを語ってみるのも面白いかもしれない。なんてったって長い経験のある、きっと一番のカウンセラーだと思うから。

もちろんいつものようにお彼岸の墓参りにも行ってきた。母は風邪気味で無理はさせたくなかったが、どうしても行きたいというので連れて行った。何もしないからと言うので連れて行ったのだけど、着いたら早速にお墓の掃除を始めた。草をむしっている後ろ姿はやっぱり少し年を取ったのかな。今年は風邪のせいでいつものおはぎは作れなかったようだ。それも寂しく感じた理由かもしれない。とまあ、そんなこんなで秋のお彼岸も無事に終了。

 

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