昔と今、先生の本質は変わらない

1977年にごいさんは先生になった。前にも書いたが、正直、先生としての自覚も薄かったし長く続けようという気も無かった。それでも先生ってこういうものだろうというイメージは持っていた。

それは自分が高校の時に教わった先生たちだ。日本史の先生は1年間ずっと縄文式土器をいじっていて、そこで歴史は止まってしまった。だから弥生式以降は独学。数学の先生は何十年使っているか分からないような黄ばんだファイルをおもむろに広げ、無表情のままに淡々と授業を進めていく。それでも教科書は終わらず、指数や対数は自分でやっておくようにということだった。漢文の授業はそのほとんどが中国の文化や生活習慣の話で、それが面白くて漢文が大好きになった。教えてくれたのは教頭先生だった。生物の先生はおしべとめしべの話で男子クラスの全員を引きつけ、それだけで1年間持たせた。古文の先生は、中庭の散歩をしながら万葉集を歌った。

どの先生も自分の専門を熱く語り、それにまつわる雑談もたくさんしてくれた。勉強を教えてもらったという感じはしない。ただ、先生の話を聞いていると、知らないうちに引き込まれていく。そうして、もっと知りたければ自分で学ぶしかないことに気づかされる。

全体的におっとりした感じで学究肌の先生ばかりだった。きっと会社員には向いてないのだろうと思う。でもそのゆったりした中に、その教科を愛する姿勢を見て取ることができた。生徒がそれを感じ自然な流れでその学問に興味を持つようになる。これがごいさんの抱いていた先生のイメージだった。

だからごいさんも授業はゆったりとまずは興味を持ってもらうことから始める。もっとやりたい子は自分でやればよいのだと思う。もちろんそういう子は大歓迎だ。そしてそのスタイルは今でも変わっていない。頑張っている子が、時々質問したりしてくれるのは何より嬉しい。小テストをやったり宿題を出したりと、押し付けてがんがんやるのは本当はあまり好きではない。

しかし、先生になってからごいさんの抱いていた先生のイメージは次第に崩れていく。圧倒的に増えた事務的な仕事に追われ、先生たちはゆったりとした気持ちを持てなくなっている。生徒に自由に何かをさせたり考えさせたりしたいのだが、それを見守る時間がない。結局は管理するのが一番簡単な手段ということになる。押し付けられた教育や管理教育からは創造性の欠けらも生まれないだろうと思うのだけど。

さらに今の時代は先生たち自身もかなり厳しく管理されていて、何かをやろうとしてもいろいろな制約があり簡単にできないのが現実だ。管理され自由度の少なくなった先生たちが、自主性や自由な発想を持った生徒を育てるのって可能なことだろうか。

それでも生徒のそういう芽を大事にしたいと頑張っている先生は多い。その先生たちが報われるようなそんな時代になることを心から願いたい。

いつもゆったりと構えて広い心で生徒を受け止めてあげる。時代が変われば生徒も変わるけど、先生だけはいつもそういう存在であってほしいな。

 

写真は、11日の部活の試合で撮影。足がいっぱい。

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