サッカー部の思い出
前回の記事でサッカー部の顧問をしていたと書いたところ少しばかり声があったので、ついては自分の高校時代のサッカー部のことをまとめておくことにした。
当時は、東京オリンピックで強豪アルゼンチンを破ったもののまだまだ知られていないスポーツだった。世間では野球が大人気だったし、学校ではバレーボールやバスケットボールの方が持てはやされていた。それでも入部希望者は多く、ごいさんの時も50人近くはいた。ただ中学校での経験者はまだ少なく、ごいさんも含めてほとんどが素人。そうは言っても運動部の経験者は多く、みんな見るからに俊敏でスポーツマンタイプばかりだった。
夏休み前までは毎日が球拾いとランニングだけ。練習が終わった後でようやくみんなとボールを蹴り出す。練習というより遊びに近い。ナイターがあったので8時ぐらいまでボールを蹴って、それから教室でひとしきり盛り上がって帰るという毎日だった。
そして初めての合宿。これまたひたすらに走る。OBも毎日のようにしごきにやってくる。初日に銭湯に行って体重を測ったらなんと一気に5キロも減っていた。練習の厳しさが皆さんに伝わるかしら。銭湯帰りに高台のベンチに腰掛けて、グラウンドや夜空を見ながらみんなでいろんな話をしたのも思い出だ。生意気に自衛隊の是非を論じたりした記憶もある。
2年生になって新チームとしての初めての試合。その時はまだ同学年の仲間だけで20人ほどいたから、自分が先発メンバーに選ばれた時はびっくりした。ポジションは左サイドのハーフバック。今で言えばボランチというポジション。もちろん嬉しかったけど、半信半疑だったね。ここでレギュラーになれなかった子たちが何人か抜けて最終的な14人が残った。
苦しい練習を乗り越えてきたせいか、みんな仲が良い。レギュラーもサブもない。練習でも試合会場でも、そこに行くまでの電車の中でも笑い声が絶えなかった。みんな優秀でいろんな情報も持っていた。実に個性的で魅力のある集団だったと思う。
引退試合は横浜市民選手権の準決勝だった。対戦校は練習試合で勝っている相手だ。そしてこれに勝てば三ツ沢球技場の芝生のグラウンドでの決勝戦となる。ところが開始早々のいきなりの2失点でみんなが動揺する。1点を返すもまた1点を失う。最後に1点を取ったところでタイムアップ。勝つつもりでいたから、ただ茫然とするしかなかった。
高校時代の思い出はサッカーに尽きる。毎日ボールを蹴ってはいろんな話をした。部活の休みの日にもみんなでつるんで遊びに出かけた。大学時代も付き合いは続く。みんなで集まっては酒を飲み、マージャンもした。酒が強くなったのも彼らのおかげ。何度も飲み潰れ、その度に多大な迷惑をかけた。本当の友達だったから許してくれたのだと思っている。
高校を卒業して40年以上たっても、会えばその瞬間に高校時代にタイムスリップ。あの頃みたいに、話が尽きることはない。もちろん見かけは立派なお爺さんですが。
40年ほど前、横浜国大グラウンドにて。みんな若い!