40年前から届いた声の手紙 ~後編~
3本目のテープの最後に「こっちは二人とも大学院はダメだった。残りは君だけだ。頑張ってきたS井君が落ちるはずはない。無事に通り抜けることを祈っているぞ。」と熱く語りかけている。が、この一週間後に憮然とした態度で彼は現れる。このテープが届いた時はすでに落ちていたのだと。なんとタイミングの悪い。でもそれを聞いたら急に可笑しさが込み上げてきてO江君と二人で大笑い。つられるようにS井君も笑い出して三人での大笑いの大合唱となった。このテープが届いた時、彼は一人打ちひしがれていたという。それがこのテープを聴いたらなんだか沈んでいるのが馬鹿らしくなって、それで我々の顔が見たくなって帰ってきたという。
次のテープはS井君から初めて送られてきたものだ。時々お猿さんのきゃきゃという声が聞こえる。大学院を落ちた時の思いが綿々と語られている。そういう状況だからいろんな節約をして一日を200円ほどで生活しているという。O江君と二人で体は大丈夫なんだろうかと心配する。内容もそうだが、猿しかいない部屋で一人淡々と話しているのがなんとも悲しい。最後に田中角栄やジャイアント馬場の物真似をして少しばかり元気な所を見せてはいるのだけれど。
そしてこちらからの最後のテープは、ごいさんの新しい家で12月5日の深夜に録音された。自分は、神奈川、茨城の教員採用試験に合格。東京はまだ結果待ちだが、これで4月からは先生としてスタートすることが決まったこと。O江君は落ちたと思っていた東工大大学院に合格していたことを報告している。テープの終盤では、大学院を落ちてしまったS井君に再挑戦を勧めている。老子の「学を絶てば憂い無し(絶学無憂)」を引き合いに出して、「お前は普通のサラリーマンには向かない。研究所で一生を過ごすのがお前なのだ。」と、学問を続けることを説得している。二人して真剣に彼の復活を祈っているのだが、それがとても純粋で新鮮に感じる。
最後のテープは再びS井君から送られてきたもので、勉強を再開したという報告から始まっている。毎日、実験を4~5時間、そして自分の勉強を6時間という日課で過ごしているという。二人のテープが励みになったらしく、「憂いこそ喜びであり自分の人生なのだと思う」と述べている。まだやれるという自信がようやく出てきたようだ。きっとこれを聴いた当時の自分たちは大いに安心したことだろう。
S井君、O江君、そして自分の三人、会えばいつも涙を流すほどに笑っていた。よく遊び、よく話し、よく笑った。この二人がいれば他に友は要らないと思った時もある。さて3人のそれからだが、S井君はその3月に再挑戦して今度は見事に合格を果たす。そしていくつかの大学を経て京都に戻り、今も現役の教授として働いている。O江君は大学院を修了後、改めて大手鉄鋼会社に就職し海外にも派遣されるなど活躍した。今は一級建築士として個人事務所を開いている。そしてごいさんは……もちろん皆さんご存知の通り。
40年前から届いた声の手紙。そこで40年前の自分が生き生きと喋っている。今を生きているようで何とも不思議な感覚だ。その彼に比べて、今の自分が少しばかりみすぼらしく思えてきた。頑張んなきゃ。今を生きているのは今の自分なのだから……って思った。
犬山にいるS井君に向かってO江君と一緒にエールを送っているところ?(山中湖にて)