3回目の日立さくらロードレース

日曜日に、茨城県日立市で行われた日立さくらロードレースを走ってきた。今年で3回目になる。スタート地点から続く1キロ近い桜のトンネルと、真っ青な太平洋を見ながら走るのがこの大会の目玉だ。初めて参加した時は正にその通りの満開の桜のトンネルに感激し、青々とした雄大な太平洋に圧倒された。ただ後半かなりばててしまって景色を楽しむどころではなくなってしまった。それで昨年再び挑んだのだが、今度は雨と強い向かい風と戦うので精一杯だった。そういうことで今年こそという思いで申し込んだのだ。f:id:goisan:20180408083545j:plain

もちろん参加した理由はこれだけではない。この日立市はごいさんが小学校6年生の夏まで住んでいた街、いわゆる故郷なのだ。街を歩けばまだそこいら中に思い出が転がっている。若い頃の父や母の姿が思い出される。そこには小さい頃の自分と妹がいる。そしてその周りにはたくさんの仲間たち。遊び大好きなごいさんはもちろんガキ大将だった。もう50年以上も昔のこと。今ではあれほど仲よく遊んだ友だちの名前も顔も思い出せない。

そんな名前も顔も思い出せない友だちだけど、このレースで一緒に走っているかもしれない。いや彼らの子供たちが走っているかもしれない、ボランティアをやっているかもしれないなんて考えるのがけっこう面白い。後で順位表を見てごいさんの名前を見つけたらきっと驚くだろうなあ。誰か気づいてくれないかなあ……なんて考えている。f:id:goisan:20160413161254j:plain

さてレースの方だが、天気は快晴、そして気温は確実に上昇しているようだ。お目当ての桜はほとんど散ってしまって今年は葉桜のトンネルになっている。それでも街ではさくら祭りが盛大に行われていて雰囲気は大いに盛り上がっている。自分の状態はと言えば、先月の鳥取ラソン以来まともに走っていないから、自信はまったくない。逃げるようで嫌だけど、とりあえず今日はキロ5分で走り切れればいいと思う。せめて最後は笑ってゴールする。

9時20分に号砲が鳴って44秒遅れでスタートラインを横切る。当然大混雑で最初の1キロは5分35秒とかなり出遅れた。応援ナビを見るとスタート順位は1208番。3回の上り坂をクリアして最初の5キロを25分44秒(921番)で通過。6キロ地点で折り返し2度の上り坂を越えて少し下ったところが10キロ地点。この5キロを24分38秒(837番)で通過する。ここから待望の海の上に架かる道路を走る。青い海が実に綺麗だ。遠く向こうの水平線は、ごいさんが子供の頃によく見ていた光景だ。

14.5キロあたりで折り返すと15キロ地点になる。この5キロは24分33秒(798番)。16キロ地点で横道に入り、そこで3回の上り坂をクリアしてまた海の上の道路に戻ってくる。そうして20キロまでの5キロを24分19秒(739番)で通過して、いよいよ残り1キロだ。ここからは沿道にたくさんの人が並ぶ。全体的にスピードが遅かったせいか少し余裕を持った感じでフィニッシュ。タイムは1時間44分21秒(737番)。

今日は楽しく走れたという感じだけど、やっぱり満開の桜のトンネル……走りたかった。 

f:id:goisan:20180408141449j:plain

 

入社式・始業式・入学式

4月2日、多くの会社の入社式の様子がテレビで報じられていた。みんなきりっとしたいい顔している。売り手市場なんて騒がれているけれどそれでも第一志望の会社に入るというのは難しいのだろうね。自分の時とは社会環境もまるっきり違って、そして今なおその変化は激しい。そんな中で生きていくのはかなり大変なんだろうけれど、ぜひいい人生を歩んでいってほしい……って、無意識に祈っていた。変だね、これも年のせい?

そして昨日からは多くの学校で新学期が始まった。春休みが終わって1つ進級してみんなちょっぴり成長した気分かな。新しいクラスや担任の先生の発表とこの日が待ち遠しかった子も多いだろうね。そう言えば、担任の先生の名前が発表されるたびに一喜一憂するような声とか、拍手が多かったり少なかったりとか、こちらもドキドキしていた。ごいさんの名前が言われた時にため息が多かったらとか拍手が無かったらなんてことを考えたりして、生徒以上に緊張していたかもしれない。

そして今日は入学式だった。中学校ではお兄さんやお姉さん的存在だった子も高校では一番年下。高校の上級生たちから見ると相当にあどけない。高校の3年間はそれほどまでに圧倒的に成長するように思う。そしてその成長の過程を見られるのが先生にとってはたまらなく嬉しい。入ってきたばかりの1年生も新鮮で可愛いのだが、ごいさんはどちらかというと上級生特に3年生と話をするのが好きだ。知識も増え言葉遣いもしっかりしている。よくぞここまで成長したと話をしていて感心する。これがまた楽しいのだ。

とまあ世間一般では慌ただしく新年度が始まった感じだが、自分はというと、英語の勉強を本格的に始めて2年目に入る。60歳を前にして立てた計画では、65歳になった今年からはより実践的な行動に入る予定だったのだけど、少し回り道をして出遅れてしまった。とりあえず今年はその遅れを取り戻して、英語の勉強に一区切りつけたいと考えている。この1年でだいぶ物おじしないで話せるぐらいになった。ただ文法がきちんと理解できていないから、まだまだまともなセンテンスが作れない。それを今年中には何とかしたい。

年齢のことを考えるとだらだらとやっている暇はない。自分の能力に見切りをつけることも大事なことだと思う。英会話そのものはスマホの翻訳アプリでも十分に対応できるからね。外国の人と話すのに不自由はしない時代なのだと思う。ただこの1年間でだいぶ手ごたえを感じたのでもう少しばかり本気度を増してあと1年だけやってみようと思っている。

自分の生き方に迷うことなく自然に生きて人生を謳歌している友を見ると羨ましい気持ちになるが、たぶんごいさんにはその生き方はできないと分っている。ごいさんにはごいさん流の生き方しかできない。ともあれこの1年間だけは精一杯もがいてみよう。入社式の新人社員の顔を見ていたら俄然自分もやる気になったから。来年のごいさんは変わるよ……って宣言しておく。

 

大倉山からの風景(4月1日撮影 お花見ランをしました。)f:id:goisan:20180401144434j:plain

 

09の旅 ~ 水戸 ~

この前の日曜日月曜日と「09の会」のメンバーで1泊2日の旅をしてきた。09の会というのはこのブログにも何回か登場しているが、2009年4月に入学してきた生徒たちを一緒に受け持った先生たちの集まりである。1組から8組までの8人の先生で3年間を担当してきた。自分にとっても教師生活最後の受け持ちだから思い出深い。

生徒を卒業させて6年が過ぎるがその間に異動したり退職したりで今はみんなてんでばらばらだ。それでも年に2~3回集まっている。特にメンバーの誰かが退職する時は1泊してみんなでお祝いをする、いつからかそんなことになっている。それで今年はS本さんが無事に定年退職を迎えての旅行ということになったのだ。

初めてこのメンバーに会ってから今年でちょうど10年になった。8人のうち学年主任のT金さん、ごいさん、S野さん、T岩さん、S本さんの5人が50代で、後は30代のA川さん、そして新任で20代のM井さんとK子さんという構成だった。当時の学年会では何かにつけて喧々諤々の議論を交わしていたのだけど、生徒を卒業させた後で不思議なくらいに一体感が生まれてきた。そうして彼らとのつき合いが今も続いている。

1泊旅行も今年で5回目になる。前回の秋の集まりの時はつくばマラソンの前日ということで欠席してしまったからみんなに会うのは1年ぶりだ。それでも自然にすっと融け込める感覚が何とも心地よい。みんなと出会って10年、そうみんな10歳分だけ平行移動した。若手は若手のままに、年寄りは年寄りのままに。当然だけど年齢順も変わらなくて、だから安定している。だから一緒にいて心地よいのだと思う。

さてここからは旅の話。今回のメインは弘道館偕楽園千波湖といった水戸駅周辺の探索だった。最初に水戸一高までの坂道を一気に上がる。ごいさんにとってこの水戸一高は小学生の時に憧れていた高校だった。その頃の水戸は田舎に住む小学生だったごいさんにとって眩いばかりの大都会だった。だから何としてでも高校はこの大都会の水戸に通いたいと密かに考えていた。もちろん入学できたかどうかは怪しい。

弘道館f:id:goisan:20180325133213j:plain

それから水戸三高の横を通って弘道館に向かうのだが、ここは教員採用試験の会場だったところだ。もう遠い昔の話だけど、もしかしたら茨城県の先生になっていたかもしれないなんてちょっと思ってみた。弘道館ではボランティアガイドの方から詳しい説明が聞けて、幕末の様子がひしひしと伝わってきた。続いて偕楽園に向かったが、梅の方は残念ながら見頃はもう過ぎていて、次の桜を迎える準備が進められていた。

好文亭から見た偕楽園f:id:goisan:20180325150129j:plain

千波湖にはたくさんの黒鳥がいた。f:id:goisan:20180325154249j:plain

翌日は水戸線で小山に抜け宇都宮で「みんみん」の餃子を食べてから市内を散策する。宇都宮特産の大谷石で作られた松が峰教会が特に印象に残った。ともあれみんなで一緒にはしゃぎながら歩くのが楽しかった。今回もS野先生の企画は大正解。いろんなことを楽しく勉強させていただきました。そしてみんなの笑顔のおかげで楽しい旅となりました。みんな、ありがとう。

※早朝ランニングで見た朝日f:id:goisan:20180326060542j:plain

※やっぱり水戸と言えば……。f:id:goisan:20180326101258j:plain

 

雨の中の墓参り

今週の火曜日に父の墓参りに行ってきた。いつものように母を迎えに行くと、早くに起きてぼたもちを作って待っていた。母はこの日を楽しみにしているのかな。ふとそんなことが頭をよぎる。(今度聞いてみよう。)熱いお茶と一緒にぼたもちを一個ほおばる。もう何年も同じことを繰り返している。そして母の決まり文句が出る。「もう一個食うか?」

本当はお彼岸の中日に行くことにしていたのだが、天気予報によると雨が強く降るとのこと、もしかしたら雪になるかもしれないということで、急きょ火曜日に変更したのだった。実際、彼岸の中日はけっこうな雪が降って、かなりの寒さだった。ただ火曜日も雨がそれなりに降って寒さもかなりのものだった。それでも雪よりはましだったかという感じ。

平日で雨という割にはお墓にはそこそこの人たちが訪れていた。みんな同じような考えなのだろう。綺麗な花がお墓に飾られている光景はいつ見ても清々しい。早速に母は赤いカッパを着こんでお墓を拭きだす。見ているだけで寒くなってくる。続いて隣の伯母さんの墓も拭き始めた。何分ぐらいだろう、ただもくもくと拭いている。それから花を飾り、持ってきたぼたもちとお菓子を供える。もちろん雨だからビニール袋に入れたままだ。

全てが用意された頃合いを見計らってお線香に火をつける。(これは僕の仕事。)そうして合掌。いつもならここで少しのんびりするところなのだが、この雨ではどうしようもない。とにかく寒くて、母の体も心配だ。お墓参りして体を壊してしまっては本末転倒だしね。ともあれ母の記念写真だけはしっかり撮影して、祖母の墓へと向かう。

祖母の墓まではここから車で1時間ほど。横浜のど真ん中にある。雨はさらに勢いを増している。もうお墓も綺麗にしているどころではない。とりあえずお花とお菓子を供えてお線香を手向けて合掌する。母にとっては自分の両親や兄妹の眠る墓だ。何度も来られるものではないからゆっくりしたいところなのだろうけれどさすがにそんな悠長なことも言っていられない。

こうして今年の春のお彼岸の墓参りもどうにか無事に終了した。いつものように丁寧とまでとはいかなかったけれど、安堵感と満足感が母の表情には表れていた。こんな寒い中、88歳の母が雨に濡れながら墓石を拭きお線香を手向けに来る。それだけで十分立派なことだと思う。

帰りの車の中では、また母のいつもの言葉が聞こえてくる。「疲れる、疲れる。もう次は来られないかもしれないよ。」もうずっと聞いている言葉だから、オオカミ少年の言葉のように聞き流しているけれど、でも案外本当のことだったりするのかな。そしてここで気づいたよ。こうして出かけるのを楽しみにしているのは母よりも本当は自分の方だっていうことに。だから、秋のお彼岸もまた一緒に来よう……って、心で思った。

f:id:goisan:20180321111042j:plain※お彼岸の中日の雪の降る様子。積もることはなかった。

 

鳥取散歩

家を出る時は土砂降りの雨。駅まで行く数分の間に全身びしょ濡れ。風も強くて欠航も心配したが、予定通りに出発。厚い雲を抜けた後は気持ちの良い青空が広がった。下に敷かれた雲のじゅうたんの凸凹が面白い。f:id:goisan:20180309080146j:plain

鳥取コナン空港では予想通りの雨。レンタサイクルを借りて回ってみようという計画はあっけなく頓挫。それとお目当ての砂の美術館は次回開催の準備のため4月まで閉館中だった。どうしたものかと思案していたら、雨も小ぶりになってきたので、とりあえず砂丘へ行ってみることにした。砂丘に着いた時はすでに雨は止んでいたが、強風が吹き粉雪も舞うなどそうとうに寒い。人影もまばらで、さすがのごいさんも30分で退散。f:id:goisan:20180309115510j:plain

帰りに途中下車して鳥取城跡を見学する。あの秀吉による兵糧攻めの舞台になった城だ。ブラブラと歩いていたら、観光ボランティアの人が寄って来てくれてあれこれと丁寧に説明をしてくれた。やっぱり人から話を聞くのが一番分かりやすいね。

※山頂に本丸があった。f:id:goisan:20180309125400j:plain

※球体の形をした石垣は「巻石垣」と呼ばれ石垣崩落を防止するために築かれた。f:id:goisan:20180309143427j:plain

f:id:goisan:20180309141905j:plain

f:id:goisan:20180309142009j:plain

f:id:goisan:20180309142133j:plain

二日目は「Gバス」というバスツアーを利用する。昼食がついて4,000円也。参加者は20名ほど。まずは因幡の白兎で有名な白兎海岸、白兎神社に向かう。大国主命と八上姫の仲をこのウサギが取り持ったということでこの神社は縁結びのパワースポットだそうだ。

※右の小さな島が白兎が戻れなくなっていた島。f:id:goisan:20180310102929j:plain

f:id:goisan:20180310102637j:plain

f:id:goisan:20180310101707j:plain

f:id:goisan:20180310102124j:plain

続いて青谷町での紙すきの体験。こういうのは不器用であまり好きではないのだが興味だけは一人前にある。工房の人に補助してもらいながら紙をすく。その上に色水を垂らしたり切り抜いた紙を置いたりしてデザインを作る。その後で水を吸い取り熱い鉄板で乾かせば見事な和紙の完成だ。これをぐるりと巻いて素敵なランプシェードの出来上がり。不器用な自分でも十分に満足。f:id:goisan:20180310113308j:plain

f:id:goisan:20180316223522j:plain

f:id:goisan:20180316223621j:plain

城下町「鹿野」を探索。ボランティアガイドの方が城主の方を「亀井さん」と親し気に呼んでいたのが印象に残った。お昼は人気の「すげ笠御膳」。f:id:goisan:20180310133257j:plain

f:id:goisan:20180310132545j:plain

そして夏泊海岸、魚見台で雄大日本海を一望して、最後の見学地鳥取砂丘に向かう。同じ場所なのに昨日とはだいぶ違う様相だ。この後駅まで戻って6時間余りのバスツアーは終了。f:id:goisan:20180310153413j:plain

f:id:goisan:20180310160931j:plain

最終日にもう一度砂丘に出向く。快晴の天気だ。風もあまりなく心地よい。思い残しのないように2時間近くたっぷりと歩き回った。天気のいい時は気持ちも晴れやかになるね。では最後に砂丘の写真をたっぷりと。f:id:goisan:20180312102331j:plain

f:id:goisan:20180312102939j:plain

f:id:goisan:20180312112517j:plain

f:id:goisan:20180312113349j:plain

f:id:goisan:20180312115055j:plain

おまけ。f:id:goisan:20180311144031j:plain

 

鳥取マラソン

名古屋ウィメンズマラソン、古河はなももマラソンと盛り上がっていたこの前の日曜日、自分は鳥取ラソンに参加してきた。4,000人ほどのアットホーム的な大会だ。天気予報は晴れで暖かくなるということだったが、空は灰色の雲に覆われ寒くてなかなか上着を脱ぐことができない。ゼッケンは申告タイム順のようでごいさんは1,800番台。一般ランナーのゼッケンは1,001番からでその前に陸連登録選手が300人ほどいるから、ごいさんの妥当な順位は1,000番前後だろうと考えた。

荷物預けまもなく終了のアナウンスで仕方なく上着を脱いで荷物を預ける。ゼッケンは申告タイム順のようだがブロックは決められていない。当日の状態で多少の前後はできるようだ。今回の自分の目標は下の写真の通りだ。実のところこれも厳しいかという状態だった。前から痛かった首と腰に加えて、先週の三浦マラソンで左ひざを痛めてしまったのだ。大事を取ってこの一週間は一度も走らなかった。DNSはどうしても嫌だったのとDNFもありかと考えた上でやって来た。

f:id:goisan:20180311084154j:plain

スタート直後の1キロ余りの急な上り坂はちょうどアップを兼ねる形でそれほど苦に思わなかった。沿道にはたくさんの人がいたが、今回はおじいちゃんやおばあちゃんの応援が特に目に付いた。手を振ると一生懸命に手を振り返してくれるのが嬉しい。やっぱり一週間走っていないのは不安に感じる。足の調子も気になる。いろんなことが入り混じって気持ちは暗くなるのだが、そういう時はその思いを払拭するように積極的に沿道の人に手を振った。

後から応援ナビを見たがスタート時は954番だったからまあ妥当な所に並んでいた。最初の10キロは51分33秒で通過する。順位は641番へと急上昇。次の10キロは50分37秒で順位は614位とどうやら同じレベルのランナー集団に追いついたようだ。ここで第二の大きなアップダウンがやってくる。長い坂道でかなりの辛さだ。そうしてこの10キロは52分22秒でクリア。順位は531位だからこの坂で多くのランナーが脱落した感じだ。

終盤に入ると強い向かい風を受けてますますスタミナを消耗する。それでも35キロまでの5キロはぎりぎり26分台で耐えた。でも気持ちはここまで。ゴールが見えたことで安心したことがあるかもしれない。40キロまでの10キロは55分45秒と落ち込んだ。しかし順位は451位とまだ上昇している。自分も辛いが周りはもっと辛く感じていたのだろう。

そして最後の2キロ、いつものように最後ぐらいはかっこつけたくてそのつもりで走っていたのに、残り600mぐらいのところで急にめまいを感じた。軽いハンガーノックのような症状。慌てて残っていたジェルを補給するのだが、その間にも多くのランナーが通り過ぎていく。その後懸命に走ったけど彼らには追い付かなかった。そしてフィニッシュ。タイムは3時間42分50秒。順位は452位と1つ落とす。最後の200mは苦しい表情丸出しで走った。今回はずっと笑顔で来られたのに最後に来て笑顔を見せられなかったのが心残りとなった。

最後に、応援の皆さん、ボランティアの皆さん、本当にありがとうございました。

f:id:goisan:20180311073955j:plain

 

龍馬通りと碑巡り

さて旅の最終日の今日は長崎の一日観光だ。長崎には今まで5回来たけれど、そのすべてが修学旅行の下見や生徒の引率だった。仕事ということもあって行動にはそれなりの制限があったから全く自由に動けるのは今回が初めてということになる。そこで今回は念願だった龍馬通りの探索と、その後に平和公園を中心とした原爆の碑巡りをと考えてみた。

最初に訪れたのは、坂本龍馬のあの有名な写真を撮影したという上野彦馬が眠るというお墓。日本初のプロカメラマンと称される人物だそうだ。f:id:goisan:20180227102926j:plain

続いて風頭公園の展望台に建つ龍馬像と対面。長崎港を行き交う船や長崎の街をどんな思いで見ていたのか。f:id:goisan:20180227103108j:plain

f:id:goisan:20180227103916j:plain

向かいには司馬遼太郎歴史小説竜馬がゆく」の一節が刻まれた文学碑が建てられている。f:id:goisan:20180227103940j:plain

「若宮稲荷神社」には、龍馬を始め多くの志士たちが参拝したという。f:id:goisan:20180227110027j:plain

f:id:goisan:20180227105514j:plain

亀山社中資料展示場」は、"亀山社中ば活かす会"という地元の龍馬ファンが運営する資料館だそうだ。どうりで中にいたおじさんが龍馬のことをやたら熱く語るはずだ。f:id:goisan:20180227110306j:plain

長崎市亀山社中記念館」。亀山社中はご存知の通り龍馬とその同志が興した日本初の商社。f:id:goisan:20180227112607j:plain

「龍馬のぶーつ像」。早速ごいさんもブーツを履いて記念撮影。f:id:goisan:20180227112451j:plain

f:id:goisan:20180227112517j:plain

龍馬通りに設置されている案内板が何ともユニークで面白い。f:id:goisan:20180227113808j:plain

f:id:goisan:20180227114018j:plain

龍馬通りを抜けて中島川沿いに歩いて行くと眼鏡橋が見えてきた。中国の旧正月を祝う「春節祭」と合わせて「長崎ランタンフェスティバル」が行われていて、眼鏡橋周辺もずいぶんと賑わっていた。f:id:goisan:20180227121440j:plain

お昼は「吉宗」の茶わん蒸し定食をと思っていたのだがご覧の通りの長蛇の列。30年前はガラガラだったんだけどなあ。f:id:goisan:20180227121250j:plain

午後は浦上地区の散策ということで、まずは城山小学校の「少年平和象」。在校生約1,500名のうち、約1,400名が爆死したという。f:id:goisan:20180227135259j:plain

原子爆弾落下中心地碑。f:id:goisan:20180227140802j:plain

「平和記念象」。上に指した右手は原爆を、水平に伸ばした左手は平和を示し、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。f:id:goisan:20180227141647j:plain

山里小学校にある「あの子らの碑」。1,581人の児童のうちおよそ1,300人が死亡、教職員32名中28名が死亡。f:id:goisan:20180227145718j:plain

「如己堂」。永井隆博士が晩年を過ごし、多くの本を著した僅か2畳ほどの住居。f:id:goisan:20180227143114j:plain

浦上天主堂」。被爆遺構として保存しようという声があったが、保存困難ということで全面撤去され元の美しい姿に復元された。f:id:goisan:20180227151350j:plain

天主堂の前の植え込みには、黒く焼け焦げた聖人達の石像が並ぶ。f:id:goisan:20180227151424j:plain

浦上天主堂前の道路のガード壁面に刻まれている「長崎の鐘」の楽譜の一部。f:id:goisan:20180227152025j:plain

山王神社の「片足鳥居」。強烈な爆風に耐え、今なお奇跡的に立ち続けている。f:id:goisan:20180227154708j:plain

散策はこれにて終了。最後まで読んでいただきありがとうございました。

f:id:goisan:20180227161406j:plain