3.11 東日本大震災

今日は3月11日、そう3年前の東日本大震災の起きた日だ。ごいさんが4階の部屋の窓から隣にある中学校のグラウンドを眺めていた時だった。まずグラッときた。たまにあることだし大して気にしないのだが、今日は様子が違う。揺れている時間が長いのだ。そしてグラウンドに立っている高いコンクリートの柱が左右に揺れている。本当に怖くなって机の下にもぐりこんだ。ほどなく収まったと思いきや続いて第2波の揺れが襲ってきた。こんな経験は初めてだ。ものすごい不安感を覚えた。首都圏の電車も止まり、停電も各地で起きた。

一人で過ごしている母の様子が心配だったので、中央林間にある実家まで同僚に車まで送ってもらった。無事を確認して今度は妹の車で自宅に帰る。この時多くの人は家まで何キロもの道を歩いて帰ったという。

家に帰ってからテレビで岩手県宮城県津波の様子、そして福島の原発事故のことを知った。原発事故はすぐにチェルノブイリを思い出した。日本の技術をもってすれば何とかなるのだろうぐらいに考えたのだが、とんでもなかった。悪戦苦闘の様子で先が見えない。おまけに情報隠し等で不信感は募る一方だ。3年後の今でもまったく前進が見られていないのには納得できないものを感じる。放射能の影響で避難させられた人たちもまだ帰れる目途さえ立っていない。

津波で家が流され町全体が消えてしまう、その光景はあまりにも残酷で大きな衝撃だった。先輩に家が火事で全焼してしまった人がいるが、自分が育った家であり子供を育ててきた思い出の場所、そして写真を始めとした思い出の品々を一切焼失させてしまったことで、しばらくは放心状態だった。テレビや洗濯機などはまた買うことができるが、失ってしまった思い出の品々は取り返せない。テレビの画面ではそれ以上の映像が流れていた。家も思い出もだけではない。多くの人が子供や年老いた親そして妻や兄弟を亡くしていた。その思いを考えるとただただ苦しくなる。

 実はごいさんはこの前の年の夏に、昔の同僚4人と岩手県の旅行をしてきたばかりなのだ。盛岡駅でレンタカーを借り、北山崎で観光船に乗りそれから田老町を抜け宮古市浄土ヶ浜のホテルに泊まった。朝食前には浄土ヶ浜の散歩を楽しんだ。翌日は、大槌町を通って釜石市に出て「鉄の歴史館」を見学してきた。だから、津波のニュースはごいさんにとってはより現実的なもので大きなショックだった。

今日、午後2時46分。職場では一斉に黙祷が行われた。 3年が経ってもまだ多くの人が仮設住宅での生活を強いられ、町の復興も遅々として進んでいない。この震災でまだまだ苦しんでいる人がいることを忘れてはいけないと誓いを新たにした。

ごいさんの力なんて微々たるものだが何かできることには積極的に関わっていこうと思っている

 

写真は、震災の前の年に撮影した浄土ヶ浜

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