父の日に考える

父の日に上の子から宅配便が届いた。父の日の贈り物だった。最近は父親としてあまり役に立つこともしていないから申し訳ない気もする。ここのところ誕生日にはお酒、父の日には食べ物といった具合で、今回は高級お茶漬けセット。実に上品な感じで美味しそうだ。早速に味わって報告しなければと思う。

それを機に、しばらく忘れていた父のことを思い出す。ずっと好きになれなかった父親で、まともに口を利くこともなかった。働き出して最初のボーナスの時にあげた1万円が父への生まれて初めてのプレゼントだった。父の日のプレゼントというつもりはなかったけど、時期的にはちょうど父の日の頃だった。そしてその一週間後に父は倒れ3日後の24日に亡くなった。財布にはその時の1万円札が折りたたまれてしまってあった。もし父が生きていてもずっと使わないでいたのではないか。そんな気がする。

子供の時の自分は父親の感情なんて分からなかった。分かろうとも思わなかった。その頃の父のイメージは酒を飲んではいつもグダをまく。いつも怖い存在だった。でも自分や妹にとって父はやっぱり父だったのだと今は思う。自分が父になりようやく気づく。もう少しだけでも生きていてくれたらと何度思っただろう。

子供は可愛い存在だ。子供からプレゼントをもらった時は、その嬉しい気持ちをずっと引きずっていたくて、早々に手をつけられない。食べ物なら賞味期限ぎりぎりまでだね。自分が父に何もしなかったせいか、子供から何かをもらうなんていう考えはあまりない。でも、もらってみるとこれが本当に嬉しい。そんな思いを、僕は父に経験させることはなかった。

父がそうであったように自分も子どもと話しをするのは苦手だ。もちろん二人とも男の子ということで、彼らから話しかけてくることもない。でも時々話が合うと1時間でも2時間でも話が続く。夜中の2時になっても3時を過ぎても平気だ。さすがに眠くなるけど、子供と話せる嬉しさからもう寝ようとも言い出せない。

自分は父親のことを嫌っていた。自分は父親のようにはなりたくないと思っていた。そうして、少なくともそうであろうと努力してきた…と思う。子供たちには不自由をさせないように育ててきた。でもそれでも子供たちにとっていい父親になれたとも思えないでいる。自分の父は案外子供から好かれるタイプだったけど、その辺が自分には足りなさそうだ。でもまだ自分にはいい父親になるための時間は残されている。今からでもまだ遅くはない。

いつか二人の息子と定期的に酒が飲める、そんな関係を夢見ている。そして、今はただ自分が元気に少しでも長く生きていること、それがプレゼントへのお返しだと思っている。

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