どうして先生になったの
生徒からよく聞かれる質問だ。ごいさんは先生になるつもりは無かったんだと答える。先生にしかなれなかったんだとうそぶく先生もいるが、ごいさんは先生そのものになろうとする意志が無かった。教員免許を取るにも友人から誘われるままに履修届を提出した。大学4年になって、研究仲間が、地元での採用が無く神奈川県の教員採用試験を受けるという。ついてはつき合ってほしいと頼まれたのだ。その時のごいさんは、大学に残って研究を続けようと考えていた。ただのお付き合いという気楽な気持ちが良かったのか、採用試験になんと合格してしまった。こんな感じだから、先生になってもしばらくの間は先生になり切れてなかったように思う。
そんな中で初めての担任を任せられる。先輩たちを見よう見まねでやっていたが、どうやっても上手くいかない。そりゃそうだよね。相手は一人ひとり個性を持った人間なのだ。同じような子はいても同じ子はいないのだから。当然、対応も千差万別で、その状況に応じて様々に変えていかなければならない。ごいさんは経験も無くあまりにも未熟だった。生徒が起こす問題を上手く処理することができなかった。何より問題だったのは生徒を叱ることだ。それまで誰かを叱ったりする経験が無かった。叱ることそのものをごいさんは恐れていたし逃げていた。次第にストレスと疲労が溜まっていく。そんな時、他の学校から異動の話を持ちかけられた。ごいさんは先生を辞めようと思っていたのだが、もう一度挑戦する道を選んだ。逃げて終わりたくはなかったのだ。それを機に弱くなってた気持ちが吹っ切れて、ようやく叱るという行動ができるようになった。もちろん叱った後はなんとも後味が悪い。時には朝まであれこれ考えて起きていたこともある。でもそうやってきちんと叱れるようになるとクラスの子たちも落ち着きを見せ、勉強はもちろん掃除もよくやるようになった。年が明けて3月、異動の日が近づく。終業式の日にクラスの学級委員の子から、ごいさんは来年もいてくれるのかどうか尋ねられた。その時、どう答えたのかよく覚えていない。生徒には伝えてはいけないルールだったから、きっと適当に誤魔化したのだろう。
4月初めの離任式の時に、その子たちに教室に呼ばれ、花束をもらって「贈る言葉」の合唱で送り出してもらった。金八先生のドラマの最初のシリーズが終わった年だった。その時になって初めて先生という仕事の素晴らしさに気づいた。いや、気づかされた。でももうこの子たちの面倒は見てあげられない。だからその分をこれから出会っていく生徒たちにしてあげようと決意した。どんな子も大切にして二度と途中で放り出すことはしない。
心の通じない生徒は絶対にいない。就職して4年目になって、ようやくごいさんは先生としてのスタートを切ることができたんだ。全ては初めて持ったクラスの子たちのおかげなんだよ。
写真は、新横浜公園。日曜日に少しばかり走ってきました。